ヒッチコックのファミリー・プロット
プロット
アメリカ
08月28日 1976 劇場で
ヒッチコックのゆすり
プロット
イギリス
01月01日 1900 劇場で
ヒッチコックの映画術
プロット
イギリス
09月29日 2023 劇場で
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ヒッチコックコメント(20)
ら、ほんと映画好きの人には申し訳ないけどサイコの監督だったんですね。
全然知らなかった。
サイコはサスペンス好きなら観るべきだと言われていたけど、カラーじゃないし、何となく観れないでいる。例のシャワーシーンがあることくらいしか知らない。サイコ観てたらこの映画ももっと楽しめたのだろうか…
ていうか、サスペンスコーナーに置いてあったけど確実にサスペンスじゃないからがっかり感もあった。
ほっこりしました。お気に入りの作品になりました。
夫妻共に溢れる才能を持つが故の栄光と苦悩。
お互いを十二分に認めつつもどこかで相手に対して劣等感を抱いてている。
互いの存在が自己の否定に繋がり承認欲求が燻る。
環境の変化がトリガーとなり歯車が狂い始め不協和音が。
世間に対する承認欲求、身近な人に対する承認欲求。
偉大な映画監督の話にも関わらず映画を観る中で共感を覚えることで不思議な感覚に。
また作品としての映画「サイコ」を別角度から見ることが出来たのも面白い体験でした。
前評判程アンソニー・ホプキンスはヒッチコックに容姿が似ていませんでしたが。
雰囲気は非常に似ている。
「雰囲気ヒッチコック」としては非常に良かったです。
全体通して楽しんだのですが。
…惜しむらくはエンドロール後、30秒の暗転が無かったこと。
ヒッチコックの作品紹介動画と映画「サイコ」を観た上で本作を鑑賞するとより楽しめると思われます。
オススメです。
悪魔のような女は、夫が愛人と結託し、心臓の弱い細君を謀殺するフランス映画ですが、文豪はその死に様に「女があんな風に死ぬのをはじめて見た」と、衝撃の胸中を綴っていました。
むろん現代人がそれを見ても、さして驚きはしないでしょう。白い入れ目をしたポールムーリスがむっくり起き上がるのはちょっとびっくりしますが、やはり古い映画です。
しかしアンリ=ジョルジュ・クルーゾーの悪魔のような女は世界じゅうで成功をおさめ、巷間の話題にのぼりました。文豪がエッセイの題材とするほどのヒット作だったわけです。
それを苦々しい思いで見ていたのがハリウッドに出向していたヒッチコックです。ヒッチコックは我々がヒッチコック劇場でかいま見るような、太った温和な伯父さんではありません。並々ならぬ対抗心を燃やしてつくったのがサイコだと言われています。
ゆえに当初から狙いは「衝撃」にありました。悪魔のような女の衝撃を追い抜こうとしてサイコが生まれたわけです。
というような話をどこかで知りましたが、この映画は動機ではなく、製作中の葛藤に焦点が置かれています。
色付けもあるはずですが、サイコ製作の内幕は、ここに描かれていることと、当たらずと言えども遠からず、だったと思います。
今では研究や証言によって、神経質で依怙地で疑い深いヒッチコック像が確立しています。それを裏付けるような映画でした。
よって、この映画の白眉は、サイコの初日、映画館のロビーで客席の反応に聞き耳を立てているヒッチコックの姿だと思います。
シャワーシーンの絶叫に、大きなリアクションで溜飲を下ろす演技に、ヒッチコックの「臆病」や「野心」があらわれていたと思うのです。
と同時に、女がシャワー中に襲われるシーンごときに映画館じゅうが悲鳴に包まれる「時代性」が見せどころでした。
ただし、アンソニーホプキンスは熱演ではあるものの、徐々に口のあたりのわざとらしい尖らせ具合が鼻についてきます。そもそもヒッチコックは柔和な顔付きですから、こわもてホプキンスには荷重ですが、これは、気になり出すと止まらない種類のことです。ゲイリーオールドマンのウィンストンチャーチルよりはまだましかもしれませんが、顔や体付きを知られた近現代人へのキャスティングの難しさを感じました。
個人的にもっとも楽しかったのは脚本家ジョセフステファノのシーンです。
おそらくステファノはハリウッドに群がる星の数ほどの脚本家のひとりで、ロークラス映画の書き手だったようです。サイコは世界中の人々が見た映画にもかかわらず、たぶんストーリーを思い出せる人は僅か、なはずです。脚本をまったく重要視していない映画でした。その適当さがラルフマッチオ演ずるジョセフステファノにあらわれていました。ちなみにマッチオを見たのはいとこのビニー以来でした。登場シーンはほとんど一瞬ですが、すごく巧く山師な脚本家を演じています。
ステファノはヒッチコックに要請され「だいたい「セックス」「怒り」「母親」ってとこですかね」と場当たりを並べてサイコの執筆がスタートします。
ところがサイコ以後、Sex・Rage・Motherがスリラーのスタンダードな方法論と化してしまうわけです。
内幕の不機嫌なヒッチコックを見られる意欲作で、上述したような楽しい発見もありました。サーシャガヴァシはおそらくトリュフォーに見せたかったのだと思います。