ナチ占領下の混乱のパリを舞台に劇場を守る一人の女優の愛を描く。製作・監督は「緑色の部屋」のフランソワ・トリュフォー、脚本はトリュフォーとシュザンヌ・シフマン、台詞はトリュフォー、シフマンとジャン・クロード・グランベルグ、撮影はネストール・アルメンドロス、音楽はジョルジュ・ドルリュー、編集はマルティーヌ・バラーク、マリー・エーメ・デブリルとジャン・フランソワ・ジル、美術はジャン・ピエール・コユ・スヴェルコが各々担当。出演はカトリーヌ・ドヌーヴ、ジェラール・ドパルデュー、ジャン・ポワレ、ハインツ・ベネント、アンドレア・フェレオル、サビーヌ・オードパン、ジャン・ルイ・リシャール、モーリス・リッシュなど。
終電車コメント(6)
そこに描かれている感情はその言葉ほどに単純ではないが、ここでは全編にみなぎるカトリーヌ・ドヌーヴの色香についてまずは言及したい。
階段を昇るときにスカートから覗くものに男の目は釘付けになる。
この脚が、ドパルデューに押し倒された際には、性行為そのものを思わせるに充分な妖しさを放つ。脚だけでこれだけのエロチシズムを表象するとは。
若い男を相手にこのような妖艶さを隠しきれない妻。その一部始終を秘密の地下室から見ている夫。
ナチの迫害から逃れ身を隠しているこの夫が、劇場の芝居を演出し、なおかつ美しい妻の恋をも演出する。他人に自分の妻を抱かせて興奮する男がいるらしいが、この夫もその一人であろう。
とある、エロティシズムの極地である。
盛り上がりがさっぱりなくて、長くて飽きる。ドイツに占領されていても人々は窮屈な思いをしながらも生活していた様子がうかがえる。評論家が殴られていたのはどんなに嫌われ者とは言え弱い者いじめみたいで気の毒だ。地下での生活が大変なのは容易に想像はつくけど、ちょっとしてみたい。
この時40歳ぐらいで既に大女優の貫禄、妖艶でそれでいて近寄りがたい風格。デビューから初期の若々しさから徐々に役柄を作ってきて、ここにきてこれかと。すごい女優だ。
それにしても、原題も邦題もどうしてこうなる? メトロの駅も映っていたけど、本筋に絡まないし。「終着駅」的なものを想定していたので驚く。
1942年ナチス侵攻後のパリ。
夜間は外出禁止となり、終電を逃した人々は劇場や映画館に駆け込み毎晩賑わったと。
Montmartre劇場はユダヤ人支配人かつ劇作家のLucas Steinerがアメリカに逃亡してしまい、彼の妻で花形女優のMarionに運営が託され、劇場関係者がドラマを繰り広げるという話。
「消えた女」という芝居の世界と実際のやり取りの境界線が時折曖昧になるくらい、全編を通して舞台を鑑賞しているかのようでした。
地下に隠れながら監督・演出指示し、舞台上の恋愛と微妙な三角関係になるなんて、”The Phantom of the Opera”みたいです。
本作は同性愛や反ユダヤに対する許容がテーマだそうですが、ナチスへの拒絶反応が一番目立っていました。ナチス=邪悪という扱いも仕方ないと思いますが、ひとつの政治思想だと捉えたら矛盾している気もします。
最初は登場人物達の謎めいた行動にワクワクしましたが、事情を知ると人間模様そのものに関しては、戦争もナチスもあくまで色付け程度の設定に感じました。
妻を愛せるか?と夫が冷静に愛人(-to-be)に聞くなんて芸術家しか無理?!
BernardとMarionって惹かれ合ってたのか?
歌と合わないくらい献身的なMarionにすっかり騙されていたと鈍さを自省しつつ再鑑賞。
初めこそ互いに盗み見していましたが、2人とも分かりにくいぞ!!
本気で好きな訳ではないから甘い言葉を方々で囁ける男。
本当に好きだから好きな振りができない、もっと惹かれてしまいそうだから近付けない女。
妻の演技から隠れた心情まで感じ取る夫。
新入りBernardを褒めるだけでは足りず、夫に写真も見せて話題にするMarion。好きな人の話はしたいものだ。
Marionのことを敬愛しているから、あそこまでBernardはDaxiatに怒るのでしょうね。
若い役者に心を奪われながらも尽くしてくれる妻に夫は一言、残酷だと。
稽古で頬を触られるのも嫌がっていたのに、キスで気を持たせておきながらやっぱりつれない態度、冷たい女だなと。
Marionは「心を消した女」。
そうか、そういうことだったのか。
で、現実の想いが演技にも役立ち新作の芝居も大成功と…。
Gérard Depardieuをイケメンの括りで見たことがなかったのですが(ごめんなさい)、若かりし頃から演技での存在感は抜群でした。
あと終電はそんなに関係ありませんでした。