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幻の湖 プロット 日本 09月15日 1982 劇場で
幻の蛍 プロット 日本 07月09日 2022 劇場で
アフリカの光 プロット 日本 06月21日 1975 劇場で
光の雨 プロット 日本 12月08日 2001 劇場で
幻想のParis プロット 日本 03月21日 1992 劇場で
ゴースト ニューヨークの幻 プロット アメリカ 09月28日 1990 劇場で
幻の光コメント(14)
幼少の記憶。死にに行く。そう言い残し行ってしまった祖母の背中。自責の念に囚われ、大人になっても夢にまで見るゆみこ。郁雄との幸せな生活も束の間、理由もわからずに郁雄は自死してしまう。
新しい夫との静かで優しい生活。その優しさでさえ癒えぬ傷。黒い服。遠景で映し出される能登の風景。ただ静かに季節は巡る。自死の理由を問うゆみこに「幻の光」に誘われたのかもしれないな。そう答える夫。その言葉は何を意味するのか。その答えは示されないまま、ただ静かな日々は続いてゆく。
答えはわからない。しかしわからないことに懊悩しながらそれでも生きていくということこそ、生きるということなのかもしれない。
男が死に近付こうとするのは、男の本能なのかもしれない。
DNAが男を誘うのだ。だから男はバイクに乗り、山に登り、戦場を目指して、死を慕う。
ふとした帰り道、男は理由なく彼岸に渡ってしまう。
この身に覚えのある心の揺らぎは僕だけのものではなかったんだな。納得させてもらったこの映画だった。
カニ取りの老婆は泳いででも生きて帰ろうとした。
かたや舅は、水平線に光を見つつ生きて戻ってきてしまったことに茫然としている。
これこそが男と女の断絶だ。
「自殺は残された者により多くの傷を残す」とその残酷さを知ってはいても、また3万人の年間自殺者がここまで減ってきてはいても、
本能の囁きに振り返る男は、一定数、決してなくならないのだろう。
"レミングの一斉入水"を自然の摂理と受け入れるなら、いくつか立ち合ってきた死をも、僕は静かに受容できるのかもしれない。
重たいが慰めを示してくれた作品だった。
まぁ、でも、確かにある意味考えさせられたのでこんなもんかなという感じです。
随所に山田洋次監督の影響があるような気がしましたが・・・
結構胸に残ったのはやはり私も日本人だからかな。