赤い夕陽の渡り鳥
プロット
日本
07月01日 1960 劇場で
赤い手のグッピー
プロット
フランス
01月01日 1900 劇場で
ピエロの赤い鼻
プロット
フランス
10月09日 2004 劇場で
白昼の通り魔
プロット
日本
01月01日 1900 劇場で
ソフィー・マルソーのパシフィック通り
プロット
フランス
10月27日 1990 劇場で
霧の港の赤い花
プロット
日本
02月21日 1962 劇場で
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エッシャー通りの赤いポストコメント(4)
やっぱり走るシーンが素晴らしかった!
園子温監督と言えば疾走だと思いますが、今回の疾走は“逃げ”でした。
ネタバレなしギリギリの範囲で表現すると…
「煮詰まった状況からの逃げ」というと無責任に聞こえるけれど、それと同時に「聞き分けの良い大人になった自分からの逃げ」でもあって、全速力の“逃げ”はむしろ反抗。
決して後ろ向きでネガティブな行為ではなく、安定している場所に居続ける事を放棄して別の場所へ向かう行為。
本当は撮りたくない映画からの逃げは、本当に自分が撮りたい映画を求めて追いかけることの始まりで、
本当に自分の撮りたいことを見つめ直すことは、原点回帰。
創作欲の原点を追いかけ、自分が情熱を傾けて撮りたかったものを追いかける。
純粋で愛しくて切ない、素晴らしいシーンでした。
エッシャーの騙し絵は、前に進んでいるようでいて、同じ場所をグルグル回っている。
作家や表現者にとって創作とは、自分をつき動かしている原点回帰をし続けることなのかもしれませんね。
小林監督心中クラブの存在も最高!
熱狂的なファンの期待もプレッシャーとなり、時として創作の妨げになる。
スランプやしがらみから逃げ出す→自身の原風景への旅→白い衣装 から、フェリーニの『8 1/2』がよぎりました。
更には「映画のセオリーからの逃げ」も加わり、映画の概念をブッ壊しにかかります。
主人公とエキストラ。
試写会が終わって街に出ると、交差点で信号待ちをしている人々が、まるでエキストラの演技をしているようで笑えてきました。
この世の中は、ものすごい群像劇で出来ている。
2020年、2021年とぴあフィルムフェスティバルの入選作品を見せていただき、すっかり自主制作映画の面白さにハマっていたので、職業や仕事ではない創作の尊さは非常に良くわかります。
1本の作品を完成させるのは並大抵のことではなく、メジャーになりたい、プロになりたいといった原動力もあるでしょうが、それよりも表現したい、表現せずにはいられない気持ちに突き動かされる熱量から生まれた、奇跡の結晶を見る気がしています。
今年のクローズド上映の『プリテンダーズ』もフィクションに斬り込んだものすごい作品でしたが、奇しくもイメージがかぶるシーンがあり。
寺山修司の時代の新宿が渋谷にシフトして久しく…やっぱ、いまだに渋谷なんですかね(^_^;)
これから見る映画はエキストラの芝居まで気になりそう。
でも、実際映画って、そこまで神経を注いで作っているものなので、観客は舐め回すように見て楽しみ尽くすべし。
みんなの役を勝ち取りたい熱量がビシビシ伝わってきて、さながら実際のオーディションの演技アピールバトルのよう。
ただその分詰め込みすぎな構成のためオムニバス的で一つ一つのストーリーは浅くなってしまい、またそこまで群像劇のように絡み合ってこないのでまとまりがない感じ。登場人物の背景も薄くなってしまうので感情移入もしづらかった。
終盤、園子温ワールドに突入すると若干置いて行かれた。
「人生のエキストラでいいんか?立ち向かえ!」というメッセージは素敵だが、最後強引に持っていった印象。
でもエキストラにもそれぞれの人生がある。自分らしく自由に生きろと一人一人にスポットライトを当てようとした作品。
そしてやっぱり目を引く人には華がある。
※ジャパンプレミアで鑑賞
こんなに大勢の出演者の個性を引き出せるなんて、凄い作品。沢山の短編映画を集めた結果、長編になったという様な感じでした。どの人のエピソードにもちょっとずつ共感出来て、とても良かったです!
無名の俳優さん、女優さんを起用しワークショップの延長での構成と仰っていたので正直途中で飽きてしまうんではないかと思っていましたが、いつの間にか独特の世界観と熱量に惹き込まれていました。
個性的なキャスト達も、乱入してくる子供たちも『みんなが主役』 と監督が言っていた通り皆がキラキラしている作品でした。
#人生エキストラで終わるな
#エッシャー通りの赤いポスト