悪魔の存在を証明した男
プロット
アメリカ
01月31日 2015 劇場で
フェデリコという不思議な存在
プロット
イタリア
06月27日 2015 劇場で
キツツキはいない
プロット
オーストラリア
12月14日 1991 劇場で
熊は、いない
プロット
イラン
09月15日 2023 劇場で
少女は卒業しない
プロット
日本
02月23日 2023 劇場で
わたしは最悪。
プロット
ノルウェー・フランス・スウェーデン・デンマーク合作
07月01日 2022 劇場で
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悪は存在しないコメント(2)
掌編なのだと分かったうえで見れば、すぐれた映画的完成は画面に満ち満ちています。自然と人間の世界はただ並立してるだけで、自然は人間にとって善でも悪でもない。自然がもたらす恵みも、津波や地震のような天災も、自然の一部としてただそこにあるだけだ、ということを画面全体で定着しています。
それを実現するために、この作品の監督は自然の暮らしでただ静かに生きる人、都会で暮らす人々の猥雑さ、それらに対して何を言うわけでもなくそこにある自然の姿、をていねいに組み立てています。見るべきはこの映画的達成なのです。
エンディングは様々に解釈しうるでしょうが、おそらく「互いに干渉しない、ただ並立しているだけ」の人間と自然の平和な共存関係が、あるところで破綻する可能性を描いているのかもしれません。
『ドライブ・マイ・カー』や『寝ても覚めても』のような作品と並べて評価しようとすると、どこかの自称プロデューサーのように「演技が詰められていない」とかのとんちんかんな感想を吐き出すことになる(自分で見てもいないくせに失敗作と断じている映画作りのヘタな自称評論家は論外)。
映画はただまっすぐ画面を見るべきだという姿勢は、『ドライブ・マイ・カー』よりさらに深化されています。