山河ノスタルジア プロット

「罪の手ざわり」で第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門脚本賞を受賞した中国の名匠ジャ・ジャンクーが、1人の女性と彼女に思いを寄せる2人の男の人生を1999年、2014年、2025年という3つの時代と社会を通して描く人間ドラマ。99年、山西省・汾陽(フェンヤン)の小学校教師タオは炭鉱で働くリャンと恋愛関係にあった。しかし、タオはリャンの友人で実業家のジンシェンからプロポーズを受け、ジンシェンと結婚。リャンは故郷の街を離れることとなる。タオとジンシェンの間には男の子が誕生し、子どもはダラーと名づけられた。14年、タオはジンシェンと離婚し、ひとり汾陽で暮らしていた。タオの父親の葬儀に出席するため、数年ぶりに戻ってきたダラーからジンシェンとともにオーストラリアに移住することを知らされる。25年、オーストラリアの地で中国語をほとんど話さない生活を送っていたダラーは、母親と同世代の中国語教師ミアと出会う。

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山河ノスタルジアコメント(17)

Onspxskhigm
Onspxskhigm
いちばん感情移入していた彼はどうなったの⁉︎ 突然なんでお父さん死んじゃうの⁉︎ というところはさておき。
余韻のある、静かで悲しい、そしてやさしい映画でした。
母なる故郷、心の拠り所は大事ね。
freedom is yours.
Onokbrciog
Onokbrciog
母親に会いたくなる。本当に愛してくれる人は母親❣️
Brpgisoont
Brpgisoont
まさに観客に向かって、監督からの「よきにはからえ~」が投げつけられる1本。

叙情的な映像、男女・親子等の不変の人間的な愛憎、やりたいことは分るし、酷い出来というわけでも無いのだが。

演出にせよ解釈にせよ「全てを観客の判断に丸投げ」するスタイルは果たして如何なものだろうかな、と思った。
「え!?今なんで飛行機が落ちてきたの?しかも主人公スルー!?」
なぜか途中で別の映画が始まるような演出の3部構成も。
全てが投げっぱなしで機能しておらず。
「観て勝手に考えてくださって結構」と監督がケツをまくって逃げ出した後のもぬけの殻を観ているように感じた。

観て、その人がどう感じたかが全ての作品。
自分は珍妙なダンスがやたらフィーチャーされてたのはこういうオチか、と思ったくらいだったが…
Kpxhsgnsimo
Kpxhsgnsimo
併映の「プラットフォーム」と同様、チャオ・タオのダンスの上手さが印象に残る。もともとダンサーをやっていたのだろうか。ジャ・ジャンクー監督の映画に出る前は、地方のドサ周りの踊り子だったりしたら、この人の人生そのものがジャ・ジャンクー映画ではないか。

映画としてはチャオ・タオのダンスの他に見どころのないものだった。
「世界」もそうだったが、彼のお気に入りのチャオ・タオに焦点があてられた作品よりも、男性が主人公の作品にこそジャ・ジャンクー映画の味わいがある。
この女優を主役に作品を作りたいのは分かるが、この監督は女性の視点で映画を撮ることが苦手なのではなかろうか。
この作品においてもそのことが前半の恋と結婚の物語に現れている。本来であれば、本当に好きな男とは結婚しないで、経済力と積極的な性格を持ったジンシェンを選んだタオの逡巡や決意が前半の主題となるはずである。それなのに、映画はジンシェンがタオを口説いているときの嫉妬、結婚してからの虚しさこそが主題となっている。
前作、「罪のてざわり」についても同様に思う。チャオ・タオが主役のエピソードでは、キレる彼女よりも、そんな彼女を翻弄する男の側のどうしようもない閉塞感に共感してしまう。
果たして、ジャ・ジャンクーにとって女性目線の映画を撮ることが難しいのか、それとも私に女性目線で描かれた映画に対するリテラシーが欠けているのか。
このようなテーマで、もうしばらくジャ・ジャンクーの映画との付き合いが続きそうである。
wftqmw
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3つの時代に渡る親子の話で、映画製作当時を現在とすれば、「過去」「現在」「未来」ということでしょうか。3つ目の時代はなんと未来になっているところが斬新だった。あと、最初に「GO WEST」の曲に合わせ10人位が踊っていて、その中に主人公達3人もいたが、最後にも同じ曲が流れるが、この時は雪の降る中、主人公一人で踊っていたのが、この映画の言いたいことのようで印象的だった。
ただ、全体的に消化不良気味の展開が多い。病気治療のため金を貸した元彼は結局治ったのかどうかの説明がない。3つ目の時代で、主人公の息子が母親に会いに行こうと決心するが、結局行ったかどうかわからないままで終わってしまった。また、息子が語学学校の先生と恋人関係になる展開が、年齢が離れすぎていてちょっと違和感がある、というか唐突すぎる気がした。