ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人
プロット
フランス
02月02日 劇場で
スティーヴン・キング エイジ・オブ・パンデミック
プロット
アメリカ
02月02日 劇場で
沖縄狂想曲
プロット
日本
02月03日 劇場で
レディ加賀
プロット
日本
02月09日 劇場で
ボブ・マーリー ラスト・ライブ・イン・ジャマイカ レゲエ・サンスプラッシュ
プロット
西ドイツ・ジャマイカ合作
02月09日 劇場で
ボーはおそれている
プロット
アメリカ
02月16日 劇場で
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沖縄 うりずんの雨コメント(4)
戦後70年と言われているけれど、沖縄の戦争はある意味まだ続いていることに気づかされた。
戦時中のカラー映像が残っていることにも驚かされた。死体も結構映っているけれど、これが実際に起きたことなんだ!ちゃんと向き合え!と言われている気がして、目をそらさずにちゃんと見ようと思った。
一方の側からではなく、日本とアメリカ双方の取材をしているところもよかった。
煽らない。
話されている内容を考えれば、
容易に激情が流れ込むだろうと想像されるのだが、
映像も言葉も抑制的ですらある。
監督の人となりが成せる技なのだろうか、
鋼のような意志だ。
沖縄戦、アメリカ占領、
基地を残されたままの日本復帰から現在。
時間をかけて映し出される占領下の映像と
当時の証言を観ながら、沖縄が語られる多くの場合、
この占領時代が宙に浮いていたな、とふと思う。
沖縄戦から今に至る不正義の土台が、
占領に光を当てることで見えてくるな、と。
違う、そこはOKINAWAだ。
琉球。
彼の地をどのように呼ぼうともそれはどうでもいい。
かの地に、都合のいい同一性と、これもまた都合のいい差異を押し付けてきた結果、彼の地の声が多様であるということをついに忘れてしまった我々がいる。そのことに気づくだけで十分なのか。
ペリーはこの島の地域的な優位性をみて、沖縄の重要性を感じとっていた。ということから見て、アメリカと沖縄の対立、専従の歴史のように見えるが、ほんとうの意味で陰湿なのは日本政府だろう。
沖縄返還のとき、沖縄のひとは喜んだ。
基地もない、核もない、すばらしい日本国憲法がある、経済発展も著しい日本に帰れるのだ!
戦争のとき、本土決戦が行われ4分の1の沖縄人が亡くなった。
そのあともアメリカに占領され、日本人でもアメリカ人でもない流浪人となった沖縄にひと。
ところが、その返還は基地付き、地位協定という法律による治外法権であった。だから、人が殺されようが乱暴されようが日本の法律では裁けないのだ。さらにおもいやり予算なんてものもある。
こんな植民地とかわらない生活を送っているのだ。
同じ日本人として恥ずかしく思う。
ただ、この映画が日米対沖縄という構図だけで終わらないものがあった。それは日本人をレイプして、いまアメリカの田舎にいる黒人男性
のことだ。よくインタビューに応じたものだと感じると同時に、彼の
痛恨の懺悔はほんとうに考えさせるものがあったのだ。
治外法権のなかの米兵の傲慢さが、彼を狂気に走らせた。
女性は許してくれないだろう。地獄に落ちるに決まっている。
教会にいっても、自分は救われることはないだろうと思っている。
そうやっていつも自分を責め続けているという。
彼を狂気に走らせたと言ったけれども、自分がそういうシチュエーションに置かれたら、彼を同じことをしたのではないか?
そんなことも感じさせるほどの緊張感があった。
アメリカ兵が女性兵士をレイプする例はいくらでもあるのだから。
アメリカ兵はチョコレートくれたり、笑顔でフレンドリーに見えた。
でも、極限に追い込まれたとき別の顔を見せるのだ。
それは、元兵隊の現在の紳士が言った。
「人間は戦いを望むものだ」と同じように「人間の性欲は本能であると同時に時に狂わせるのだ」
それなら、どうしたらいいんだろう?
僕は思う。人間を狂気に追い込む状況をつくらない。
そう、その典型である戦争を断固拒否すべきだと強く感じるのだった。