ケンタとジュンとカヨちゃんの国

6.5/10
合計13件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   131分
言語   日本語
地区   日本
書かれた   大森立嗣
劇場で   06月12日 2010
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ケンタとジュンとカヨちゃんの国 プロット

孤児院で兄弟のように育ったケンタとジュンは、ひたすら壁を壊すだけの解体工事の仕事(はつり)で生計を立てていた。低賃金で重労働という厳しい環境に加え、陰険ないじめが横行する現実に苛立つ2人は、所属する会社の事務所をぶち壊して、ケンタの兄がいる北を目指し旅に出るが……。出演は、ケンタに松田翔太、ジュンに高良健吾、カヨに安藤サクラ。監督・脚本は「ゲルマニウムの夜」の大森立嗣。

ケンタとジュンとカヨちゃんの国 俳優

ケンタとジュンとカヨちゃんの国 写真

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ケンタとジュンとカヨちゃんの国コメント(19)

Nxpskoisghm
Nxpskoisghm
この映画のラスト、40年近く前にラジオかよく流れていた岡林信康の名曲「私たちの望むもの」がスクリーンから流れてくる。それを懐かしく聞きながら、今を描いているにもかかわらず、70年代の匂いを演出から終始感じていた意味がわかったような気がした。どこか70年代の映画のような演出やキャラクターの造り方なのだが、それが今の青春群像を的確に表現して見せている。そこが、とても興味深い作品なのだ。

この作品は、孤児施設で育って大人になり、ビルの解体工事を生業にしている、言わば現代社会の片隅で生きるケンタとジュンが主人公だ。しかし映画が始まって30分くらい、ケンタ役の松田翔太とジュン役の高良健吾があまりに顔が綺麗すぎて、小さい頃から苦労してきた年輪を感じなくて、なかなか映画に入っていけなかった。
実はこの作品、監督も役者も芸能人二世が中心というエリート揃いだ。だから、そんなエリートたちが社会の片隅に生きる若者を演じる、ということだけで、この作品を毛嫌いするような人がいても仕方ないかもしれない。しかし、その苦労を知らないような顔立ちの役者たちだからこそ、今の若者、今の青春群像を演じられていることを、まだ見ていない人たちに強調しておきたい。最初はしっくりこなかったエリートの役者たちが、社会の片隅や底辺に溶け込んでいくうちに、自分たちだけでは切り開くこともできない、恐ろしい運命へと導かれていく若者の姿を、見事に演じきっている。

今年、上半期で一番の映画は韓国の「息もできない」だが、この作品のシチュエーションも「息もできない」に近い。まともに育てることもできない両親から生まれたケンタとジュンは、愛情も家族の幸せも知らない。そして絡んでくるカヨちゃんも愛に飢えている日々を過ごしている。そんな人生だからこそ、見せかけだけでない、本物の愛や幸せを求めたいと思う。だからこそ、現代の閉塞的な社会から逃避したい、と思う気持ちは、普通に社会の中で暮らしている我々よりも強いのだ。そこを理解しないと、この作品の物語に共感する人は少ないかもしれない。実際、試写が終わったあとの観客の声はあまりいいものではなかった。普通に見れば「クラい、重い、長い」内容なのだから、観たあとの後味もそういいものもではない。しかし、この映画には普段は見落としてしまう、目をそらしてしまう社会とそこに生きる青春が描かれていることを、観る人にはしっかりと認識してほしい。この作品の社会も、私たちが暮らす社会なのだ。

この作品から70年代を感じたのは、ラストの岡林の曲だけではない。この映画を見ていると、昔の「赤ちょうちん」や「妹」、「あらかじめ失われた恋人たちよ」などの70年代の若者の青春群像映画を思い出して仕方なかったからだ。それは演出意図かもしれないが、現代の閉塞感があの時代に似ているからなのかもしれない。そんな危機感も感じさせてくれるこの作品、ぜひ多くの若者たちにみてほしい。
Stretdyaao
Stretdyaao
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誰とでもセックスする女カヨ(安藤)。そんな女の子でもしばらく一緒にいたら愛情がわくだろうな。だけど、旅の途中で彼女の金を盗み、置いてけぼりにしてゆく。ちょっと痛かった。しかも、その後はおっさんの車に乗っていたから、体を売ったのだろう・・・

網走の刑務所へ兄に会いに行くという明確な目的があるケンタ(松田)。ただ彼についていくことで自らのアイデンティティを見つけようとするジュン(高良)。社会から疎外されたと感じている様子と、日頃の鬱憤を何にぶつければいいのか探しているようにも見える。

ケンタは常にジュンとは違うと言ってた。それは単に、未来、光、鬱屈した世から逃げ出したいともがいてるケンタと、何をすればいいのかわからないジュンとの違いだろうか。兄(宮崎将)がロリコンとしてパトカーで連れ去られようとしたとき、原付バイクでパトカーに向かっていった姿と、終盤に、拳銃を向けた裕也にバイクで向かっていった姿がダブってくる。壁を壊す“はつり”という仕事も、そうした向こうにある未来を求めていった姿の象徴なのだろう。

さらに終盤、キャンプファイヤーを楽しむ若者たちと喧嘩になり、ジュンはケンタに向けて発砲してしまう。そのあたりの心境はちょっと理解できなかったが、エンディングの「私たちの望むものは」(歌:阿部芙蓉美、作詞作曲:岡林信康)というテーマ曲ですべてが氷解したように思えた。
pwbfdjb
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映画の内容以前に、顔ぶれを観ていたら気付いた。
この作品、やたら二世俳優や兄弟だらけだなぁ~と。

監督「大森立嗣」は麿赤兒の長男、弟は大森南朋。
「松田翔太」はもちろん、松田優作の次男。
「安藤サクラ」は奥田瑛二と安藤和津の次女。
「宮崎将」は宮崎あおいの兄。
「柄本佑」は柄本明の長男。お父上も本作に出演。
…探せばまだいるんじゃないか?と思ったくらい、
なんとも豪華な二世祭り~!といった感じなのだが
内容はいたって暗い^^;

二世といっても、それぞれがもうかなり活躍している
俳優たちなのでみんな巧い。自分の役割を忠実に演じ、
監督の期待に答えているという感じ。。
孤児院育ちで自分たちの居場所を未だに見出せない、
劣悪な環境下で働いている若者二人に少女を加えた
三人の逃避行劇がメインなのだが、意味不明なほど
彼らのどうしようもない苛立ち感(過激なうえに静かな)
がこちらに伝わってくる。おバカとはいえ、昨今の若者
映画に見られるような軽々しいドライなタッチではなく、
どこまでも重い精神映画を見せられているような感じ。
加えてケンタの兄までがその感性を助長させている。

行き着いた場所に答えなんて、果たしてあるんだろうか。

重々しい男性陣の演技に反比例する紅一点・カヨちゃん。
安藤サクラの演技は特筆モノで、これほど自分をブスに
魅せた女優も珍しい。バカでブスでワ○ガという難役に、
よくぞここまで酷い台詞を…と嘆きたくなる程の演技力。
今作は、彼女あっての作品だといえる。

自分の居場所探し。。という作品を度々見かけるが、
現在の場所から抜け出せば大きな幸せが待っていると
アテもなく旅に出て、様々な出逢いから人生を決める
決断をした果てにまた、振り出しに戻るケースが多い。
それでも知らないよりはまし。ここに意味があったのだ。
と、自己納得してエンディングを迎えるのが通説になり、
なんだ結局、今の世界を大切にしろ。っていうことかと
映画だけで旅をした自分への充実度に貢献してしまう。

たまにこれでいいのか?と思うけど^^;元々不満がない。
彼らの懲りない生きざまにそんなことを感じてしまった。

(自分の人生を他人に押し付けること自体が無謀だし)
Ttreameodns
Ttreameodns
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東京フィルメックスの招待作品上映時と劇場公開と二回みた。
映像センスは前作のとき同様、目を奪われるものがある。
美しいと思う。
しかし時間を置いて二回みると一回目にみてモヤモヤしたものが明確に浮かび上がってくる。
わかりやすい「貧困」や「差別」や「弱者」がアイコン化されケンタとジュンという施設育ちというシチュエーションありきの薄いものに感じ取れてしまうのだ。
ケンタとジュンの苛立ちの根を理解することは可能だが共感共有には至らないのは自分の感受性に問題があるのだろうか。
かたや、カヨちゃん。安藤サクラという女優さんの力には圧倒された。天才かもしれない本当に。宮崎将も凄まじい空気を醸していた。あの虚無の瞳孔開いているんじゃないか、という瞳。
この二人の素晴らしさは鳥肌ものだ。

知的障害者の施設のバスの場面は何のために入れたのだろう。ケンタとジュンは柄本佑演じる施設の幼なじみに会いにいく。
かれは隻眼である。母親に虐待を受け抉られたという設定で(その母親役は洞口依子)現在は障害者施設で働いている。
彼の職場の利用者たる知的障害者と一緒のバスに乗ってケンタとジュンに何を表現させたかったのだろうか。

映画全体を通して社会的弱者とか搾取される側の視点を取っているのだろうが、社会的弱者ってこれを言うのだろうか。アイコン化したようなわかりやすさに、現実のほうが遥かに残酷だわな、と思った。
Xkmspsohgin
Xkmspsohgin
何かあるはず。今よりマシなはずだ。何か変わるはずだ。別の世界に行けるはずだ。そう思いたい。

でも、そんなのは幻想である。彼らを待っていたのは地の果て。信じていた救世主は生きる屍。結局何も変わらないどん詰まり。楽園なんてどこにも無い。

何か虚しいよ。

ケンタがちょいちょい言ってた『俺とお前は違う。』

何が違う?何も違わないよ。所詮同類。

この作品のカヨちゃんの役割って何だったんだろ?
愛に飢え、誰にでも股開く尻軽。ノリで言った『愛してる』を本当バカみたいに信じる痛い女。
結局この子もケンタとジュンと同じ、自分じゃなく他人に希望を見出だす人間なのかね?

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