サガン 悲しみよこんにちは
プロット
フランス
06月06日 2009 劇場で
悲しみに、こんにちは
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スペイン
07月21日 2018 劇場で
夜よ、こんにちは
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イタリア
04月29日 2006 劇場で
こんにちは、母さん
プロット
日本
09月01日 2023 劇場で
悲しみは女だけに
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日本
02月26日 1958 劇場で
悲しみは空の彼方に
プロット
アメリカ
05月26日 1959 劇場で
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悲しみよこんにちはコメント(7)
ショートカットのジーン・セバーグが可愛いが、ゴダールの映画に出てくるセバーグのほうが魅力的だ。ゴダールの映画に出てくる女で魅力的なのはセバーグだけだ。
主人公の父が夏のバカンス中に別荘へ遊びに来た中年女性と婚約をするのだが、この主人公の少女は婚約者を謀略で傷つけて追い出してしまう。しかし、それは後味の苦い結末を迎える。その後この父娘はこの思い出に触れることなく、心に虚無を抱えて生きていくというのが筋。
しかし、バカンス中の別荘に知り合いの女が来るなり父親と婚約して、早くも母親面をされる主人公の立場を思うと、追い出したい地気持ちはよく分かる。ちょいちょい若い女と遊んでいる男と知っていて婚約したのだから、この中年女も何らかの打算があったはず。
それなのに、悲しみあまり車に乗って飛び出していくのはあまりに自分のことを棚に上げ過ぎだと思う。
どうもこの女性には同情はできないし、主人公がこのことでことさらに傷つく必要も感じない。うーん、俺はババァに冷たい人間ではないはずなのだが、、、
総合:70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
退廃的生活にすっかり浸った自由奔放な少女が、その他人を思いやれない幼い残酷さをいかんなく発揮して周囲の人々を傷つけ壊していく。そんな自分の行動が自分自身にも返ってきて、何をしても幸せを感じられない虚無感にさいなまれる。でもこれだけのことをしでかしても、彼女は結局満たされない自分自身のことばかりを可哀想と思っているのだ。死んでしまったアンヌのことに罪悪感を感じるのではなく、彼女の死後の満たされない自分のことを哀れんで一年前を振り返り、そしてまず自分を哀れんでの「悲しみよこんにちは」なのだ。だからそんな自分の心を少しでも紛らわすため、今日も派手なだけの無駄な時間を無為に過ごす。退廃が作品全体の雰囲気を満たすという意味で、『太陽の季節』や『甘い生活』を思い出させる。
なんと幼く自分勝手で不道徳で堕落した少女だろうか。普通ならばただ単にこんな我侭な馬鹿女は嫌い、少しは罰を受けるべき、で終わるところである。だがここではそれ以上のものがある。それは自分の馬鹿さ加減に気がつくこともなく、自分の感じたまま思うがままにその日を生き、自分では制御できない感情が生まれて何の防御を施すことなくそれが傷つけられる様子を綴っている姿に、文学的な繊細さを感じるからである。元々の原作がわずか18歳のサガンが書いた文学作品なのだから当然といえば当然だが、恐らくは映画と同年代のサガン本人の感じていることが生々しく描写されていることにちょっとした衝撃を受ける。こんなやつが本当に身近にいたら迷惑だが、それが豊かな才能で表現された文学作品となればまた別である。
父娘が話していて声が聞こえているはずのすぐ横でフィリップとエルザが寝ているとか、アンヌが林の中を歩けば父親のエルザへの囁きがはっきりと聞こえるとか、アンヌの車が水没しているのに煙が遠くから見えるとか、作品の演技や演出にはわざとらしさがあったりして必ずしも質が高いとは思わない。でもセシルを演じたジーン・セバークの小悪魔的な美貌が魅力的だった。