楢山節考

7.4/10
合計17件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   131分
言語   日本語
地区   日本
書かれた   今村昌平
劇場で   04月29日 1983
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楢山節考 プロット

信州の山深い寒村を舞台に、死を目前にした人間の生き方を描く。深沢七郎の同名小説と「東北の神武たち」の映画化で、脚本・監督は「ええじゃないか」の今村昌平、撮影は栃沢正夫がそれぞれ担当。

楢山節考 俳優

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楢山節考コメント(13)

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キャストの演技がピカいちでした。今の俳優達にはとうてい出来ない演技でした。坂本スミ子はこの映画で前歯を折りとん平はあんな変態なキャラを名演技でしたしその他の俳優女優も素晴らしかったです。内容は所々グロいシーンがありますがこれも昔の日本の文化の1つだなと勉強になりました。人間の行動と動物の行動を1つにする所がたまに面白い。
tzjcgil
tzjcgil
昔に見た時にはとても悲惨な映画だと思ってました。年を重ね今の自分が見直したところ、昔とは違う思いが沸き起こりました。

姥捨山伝説を題材にした映画。この映画に描かれているのは命の連鎖、生そして性をありのまま描くこと。

人の思い、残酷さ。残酷。これは残酷なのだろうか…

自然の中の一部その中で生きるものは人に限らず全ての生きとし生けるものは同じなのではないだろうか、命をつなぎ生み出し、生き、年をとり死んでいく。

ラストは悲しさと言うよりも荘厳で美しささえ感じられる。
緒形拳、坂本スミ子の演技は圧倒的。死を迎える時に雪が降る。素晴らしい作品だ。
fwzcwm
fwzcwm
その村ではある年齢になると健康でも山に捨てられるという掟があった。

夜這いなどの日本独自の風習も描かれている。

坂本スミ子と緒方拳、左とん平など演技が光る。

今の役者で、誰が代役を出来るだろうか?

もう誰も演じられない映画なんだろうな。
pifiur
pifiur
木下作品と違ってセックス描写がリアル。シーンのつなぎ目に小動物のカットを織り込んで、人間の生と性を対比させている。

けさ吉も嫁をもらうとはりきって、あまやの娘松と子供を作る。しかし芋の盗難事件が発覚して松までもが一家の罪人と一緒に埋められてしまう。この残酷でもあるシーンもリアルだ。あき竹城がでっかいおっぱいをブランブランさせているシーンとか倍賞美津子に女を教えてもらう左トン平が熱演(?)だ。

リアルさと生と死の対比を上手く表現している点では木下版よりも凄いのだが、ラストのシークエンスの面白さではかなわない。
Smnhspgioxk
Smnhspgioxk
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信州の山深い、楢山という山を信仰の対象にしている寒村。
時代は定かではないが、明治期のように思われる。
その小さな村にある「根っこ」という呼ばれる一家。
七十を迎えようとする婆おりん(坂本スミ子)、45歳になる辰平(緒形拳)、辰平の弟で奴(家を持たない二男以下のこと)の利助(左とん平)、それに辰平の三人の子供の一家があった。
村の掟では、七十を迎えた老人は、寒村の命を繋ぐため「お山参り」と称して、山に棄てられる運命にあるのだが・・・

という話だが、姥捨ての話は後半になってから、前半は素寒貧の寒村の様子を丹念に描いていきます。

食うものは芋程度。
一家の二男以下は単なる労働力で、嫁を娶ることはできず、常に悶々としている。
娘ならば、大きくなったら売って金に換えたいところだし、嫁は嫁で、これもまた労働力、かつ、今後の労働力になる(もしくは金になる)子どもを産むことが期待されている。

まぁ、もうどうにもこうにも暗くて遣る瀬無いのだけれど、生きている限りは仕方ない・・・といわんばかりに、どこか突き抜けている。

前半の主人公は、ほとんど利助といっても構わない。
もしくは、村の中から嫁をとる、辰平の長子。

ふたりから見えるのは、生=性であり、遣る瀬無くまた滑稽だけれど、彼らの性的欲求を否定することはできない。

この前半で、がらりと色調を変えるのは、辰平の長子が娶った嫁の実家の皆殺しのシーンで、貴重な食料を盗んでいた一家を一族郎党、根絶やしにするために生き埋めにしてしまう。
このシーンは凄まじい。
が、イタリアンのリアリスモ映画でも、あったような印象を受け、どこか、もう、仕方がない・・・みたいな気にもさせられてしまう。
若い嫁の腹のなかには、胎児がいたにもかかわらず・・・

このエピソードが、性=生の前半から、生→死の後半へと繋ぐ役割を果たしている。

とはいえ、後半の姥捨ての道行のシーンはいささか冗漫な感じがしないでもないが、白骨累々のお山のシーンは衝撃的で、こりゃ、こんな光景をみるよりは、手前の谷で老いた親を蹴落としたくなるだろうねぇ。
なので、念仏を唱えながら成仏するおりんの姿は神々しいものの現実離れしているようにも思えましたが、こうでもしないと、映画的には決着がつかないのでしょうね。

初公開当時は観る気の起きなかった映画でしたが、歳を経て観て、観てよかったと思える作品でした。