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まぼろし プロット フランス 09月14日 2002 劇場で
まひるのほし プロット 日本 01月16日 1999 劇場で
まぼろし天狗 プロット 日本 08月12日 1962 劇場で
まぐろのしっぽ プロット 日本 04月22日 2000 劇場で
醒めてまぼろし プロット 日本 02月26日 2021 劇場で
快傑まぼろし頭巾 プロット 日本 09月28日 1954 劇場で
ひろしまコメント(18)
その瞬間に原爆(リトルボーイ)が投下されます。
Bとはアメリカの大型爆撃機B29の事です。
このシーンは強調されていたので、何かを語ろうとしていると思います。
8月6日に広島上空を飛んだB29はたった3機です。
しかし高射砲攻撃、戦闘機による迎撃もなく、
またラジオによる警報、空襲警報もなかったようです。
天気は快晴、風力2と風は弱く、気圧は764mmHg。
つまり、アメリカ軍の原爆投下は日本軍に邪魔されず簡単だったわけです。
それは今日でも謎であり、広島と長崎への原爆投下は、
見方を変えれば日本のトップが爆撃に同意したという推測が可能になります。
広島の原爆はウラン、そして長崎はプルトニウムであり、それは実験のようにも思えます。
要するに、いとも簡単に原爆投下を可能にしているのが奇妙です。
アメリカCNNが広島長崎の原爆投下の経緯について報じていたのは、
ドイツに投下して不発に終わった場合、ドイツ軍は原爆を回収してをつくるはず、
日本の場合、その点は大丈夫だろうと判断し決定したようです。
それが事実なら、モルモット実験だった事になります。
いずれにしても、抑止力を含め軍事力(暴力)は肯定されています。
・・・残念ですが。
作品中、このドームに入って記念写真をとるアメリカ兵をみて虫唾が走った。が、それを淡々と映像に残したのは立派。戦争終結した自負か、戦勝国のおごりか。亡くなった市民への追悼は感じられなかったが、これが当時の風潮だったのだろう。
ピカドンと直後の静けさ、気が付くとうめき声、その時、伊福部の音楽がフェイドインしてくる。悲しく辛く忘れられないシーンだ。
被爆、その後の混乱、月日が流れても白血病。この映画でも一部しか表現できなかったろうが、被爆後の悲惨な様子や生きても付きまとう死への恐れは、痛いほど伝わった。長崎に住んでいた時は、8月9日に被爆者のお話を聞く登校日があったのを思い出した。
日教組製作なので、立派な教師と生徒たちの信頼関係も良く伝わった。朝鮮戦争が背景になると思うけど、大砲の弾を作るのが嫌で工場をやめた少年の痛い気持ちが印象的だった。
・被害者の数だけ家族を探す人がいると考えたら呆然としてしまう
・原爆を落とされた現場で、それでも戦えって呼びかけてる人間がいて絶句した