キリング・ミー・ソフトリー
プロット
アメリカ
02月23日 2002 劇場で
ハート・オブ・ウーマン
プロット
アメリカ
01月27日 2001 劇場で
ランド・オブ・プレンティ
プロット
アメリカ・ドイツ合作
10月22日 2005 劇場で
ロード・オブ・ドッグタウン
プロット
アメリカ
12月10日 2005 劇場で
オーシャン・オブ・ファイヤー
プロット
アメリカ
04月17日 2004 劇場で
サウンド・オブ・サンダー
プロット
アメリカ
03月25日 2006 劇場で
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キリング・オブ・ケネス・チェンバレンコメント(7)
なぜ彼が警官に殺されなければならなかったかより、なぜ警官が罪に問われないのかの方が気になった。
怒りしかない。
たとえ場所が危ない地域だったとしても、全く話を聞く気がなく全てを悪い方向から考えて自分たちが正しいと決めつけた警官二人が怖すぎる。
唯一守ろうとしてくれていた彼は、教養のある人物だったなと思う。彼がここで警官を諦めないで、もっと上の立場に上がってこの警察署の質を上げてくれてたらいいなと思った。
全ての問題は話し合いが全くできなかったことにあるように思う。
救いがなくとても気持ちが落ち込む映画だったけど、唯一良かったことは実際にこんなことが起こる世界だと知ったことだな。
無実の男が警察によって殺害された事件を、彼が殺されるまでの90分とほとんど同じ尺で描く。
上映時間を実際の事件に寄せることで、ケネス自身が体験した恐怖を追体験できるようになっています。
本当に新たな恐怖との出会いでした。
怒りや呆れ、悲しみ。
すべてのやるせない感情が混じり合い忘れられない一本となった。
なぜならこの作品は”事実”だから。
”精神障害を患う70代の男性”
このパーソナリティに”黒人”や”元米兵”が加わるだけで、その人の見る目が変わってしまうのか。
「黒人の男性だから、部屋で人を監禁している可能性がある」
彼はただ機械の誤作動で”安否確認”のために警官を呼ばれただけで、彼らが過度にパーソナルスペースに押し入る権利なんてなかったはず。
これは確実に警察側、警官の人間性、そしてバイアスの問題かと思います。
そもそも警官と言っても、公的な許可なく人の家に押し入ることなんてできない。
こんな至極当たり前の常識が”勘違い”や”バイアス”によっていとも簡単歪められてしまうものなんですね。
彼らの抱く「犯罪を未然に防ぐべきだ」という正義感
「黒人だから徹底的に調べるべきだ」という差別意識
「警察なら正義のために、法に逆らって独断で判断できる」と言う慢心(うぬぼれ)
これらが不運にも重なってしまったとも考えられるが、彼は本当に運が悪かったのだろうか?
そんなはずがないから、防げたことだからこそこの作品を撮ったのだと思います。
アメリカ全土でまだまだこのような事件を耳にします。
日本では毛頭見かけることのない状況だからこそ、見なければならない一作です。
行き着く先はわかっているのに、ラストまでまったく目が離せなかった。
ほぼリアルタイムの時間進行で描かれており、緊張感が凄まじい。
なぜ彼は殺されなければならなかったのだろう。
なぜ誰も救えなかったのだろう。
これほど胸を締め付けられる作品は初めてだ。
忘れられない作品になった。
モーガン・フリーマンの製作総指揮で、映画化された作品。
ほぼリアルタイム進行で描かれるゆえ、回想シーンが無い。
過去に彼が白人警官から受けたであろうことが、仄めかされる部分に非常に意味があると思う。
83分間に起きた悲劇は、この時だけ、彼だけに降りかかったものではなく、蔓延していた。
そして今もなお存在するという、恐怖…。
非常にスリリングで、「デトロイト」や「フルートベール駅で」を想起しました。
もうこんなことは2度と起きてはいけない。
実際の音声がさらに残酷さを強烈に印象づけて、なかなか忘れ難い一作になりました。