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小さな赤いビー玉 プロット フランス 06月11日 1977 劇場で
赤い河 プロット アメリカ 01月05日 1952 劇場で
赤いグラス プロット 日本 05月18日 1966 劇場で
赤いアモーレ プロット イタリア 01月08日 2005 劇場で
赤い糸 プロット 日本 12月20日 2008 劇場で
赤い唇 プロット ベルギー・フランス・ドイツ合作 09月04日 2021 劇場で
赤い玉、コメント(15)
離婚して娘は元妻と一緒に暮らしており、疎遠になっている。
学園の事務員と愛人関係にあるが、そろそろ・・・。
よく頑張るなぁ、とう印象。
映画を学ぶ学生たちに“性表現を避けるな”という趣旨があったとは予想外でした。大切なことではあるけれど、映画で人間を描く上で必須なものだろうか。それこそ主人公のように性を失ったもの、閉経後の女性などその先にどのようにして人間を再定義していくのか、そんなテーマを期待していましたが少し違っていました。
一人の男の生き様がありありと描かれていて、今作は現実と夢の境目を彷徨う主人公を奥田瑛二さんが悲哀たっぷりに演じられていました。やはりどれだけ情けなくても、かっこいい。
監督の奥さんである高橋恵子さんや、義理の息子である柄本佑さんとのシーンも必見です。
女優陣の中では奥田さんの生徒役を演じられた土居志央梨さんが、頭ひとつ抜けていました。少しのシーンでも、空気をかっさらっていくような余裕と迫力。まだ二十歳そこそこの若さで末恐ろしいです。舞台挨拶での可愛らしいギャップがまた素敵。カメレオン的女優さんの予感。
これでデビューとなった村上さんの初々しさも作品を生き生き見せていましたし、奥田さんの彼女役でヒロインの不二子さんは、大人の女性の魅力を存分に発揮されていました。
低予算の今作でも、見終わったあとぐったりとなるくらい人間ドラマを見せてくれた高橋伴明監督恐るべし。とにかく見て欲しい作品です。
「もう落ち目でしよ!」
ゼミの若い女の子から陰口を言われる映画監督。
作中に彼はシナリオを書いたものの納得がいかず、それをごみ箱へと投げる。
が…上手く入らず、何度も同じ行為を繰り返す。
彼にとって時間は有り余るほどあるのだ!
高橋伴明がどの様な思いを持って、この作品を作り上げたのか? 本人では無いので、以後個人的に勝手に解釈しています。
若さは最大の武器となり、新たな未来が待ち受けている。
一方老い先短い身を自覚すると、人生の終焉に向かい世間に対して、“何らか“ の爪痕のようなものを遺しておきたいと思うのも、また人情かと思う。
ただ周りがそんな自分の事を、このゼミの若者達の様に【老害】と捉えていると思われていたら…。
私などは、まだまだ高橋伴明にはこの様な作品を撮れるのだから充分に【若い】とは思いますがね。
ゼミでの若い監督は、自分の作品を若い男女の愛と別れを三角関係で描いていた。
どうやら二人の恋愛模様が順調だった頃には、『雨に唄えば』をオマージュとしているようだ。
そんな作風を、この主人公にはもの足りなく感じているところが、随所に見受けられる。
だからこそ、物になるのかどうか?わからないのだが、彼は「俺ならば!女をこうゆう風に撮る!!」とばかりに、シナリオを書き込みなから妄想に耽るのだ!
おっさんだけに(笑)なのか、女子高生に見立てては追い掛け回す。
何度も追い掛け回した後で、突然男は愛人から口紅を着けて貰う。
鏡を覗き込むと、そこには悍ましい顔が映り込んでいた。まるで『ベニスに死す』に於けるダーク・ボガードの様に。
伝染病が流行し、観光都市としての体裁を守る為に、街全体に死化粧を施したベニスの街。
それに対して自分も美の象徴である美少年タジオを目の前にして、死化粧で取り繕う。
彼女が住む自宅の前には小川がある。その小川を挟んでは追い掛ける姿が、ベニスの街を追い掛ける姿と重なる。
若さとゆう美しさを前にしては、年老いてしまった者にとって“手の届かない憧憬“と言って良い。
『ベニスに死す』では、完全なる美の前では才能が枯渇してしまった者は、その美の前に平伏すのみだった。
が…。
そこはそれ、高橋伴明はピンク映画出身なのだ!
<赤い玉の伝説>
よく言われる性に対する例え話ではあるが、実際問題そんな話など有るはずなど無いのだ!
だが、それを美(いや快楽又は悦楽と言った方が良いのだろうか?)の象徴を前にして搾り出して貰おう…などと言った妄想を膨らませて話を作り上げる辺りから、高橋伴明自身のピンク映画出身としての【気概】の様なものを、この作品からは感じてしまうのだ!
不二子演じる愛人の女は、その妄想によって生み出されたシナリオに嫉妬心を露わにする。
私に対して示す快楽以上に、新たな性の対象として熱中している様な彼の本心に対して…。
全編に渡ってこの作品では、基本的にそんな男女に於ける性を笑い飛ばす様な喜劇的に描かれてはいる。そしていつしか映画はラストシーンを迎えるのだが…。
個人的にはここまでのレビュー同様、あの最後の終わり方には【盟友】である若松孝二にたいする鎮魂歌なのではないか?と勝手に考え、様々な思いが胸に去来する作品でした。
(2015年9月30日/テアトル新宿)