ピエタ
プロット
日本
05月24日 1997 劇場で
トイレの花子さん(1996)
プロット
日本
06月29日 1996 劇場で
チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室
プロット
アメリカ
04月04日 2009 劇場で
ぼのぼの クモモの木のこと
プロット
日本
08月10日 2002 劇場で
ぼのぼの
プロット
日本
11月13日 1993 劇場で
絵の中のぼくの村
プロット
日本
07月13日 1996 劇場で
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トイレのピエタコメント(20)
余命僅かの青年が一人の少女と出会って…と、如何にもなセンチメンタルでお涙頂戴の少女漫画原作のような設定だが、原案は何とあの手塚治虫!
手塚治虫が病床で書いた日記に着想を得て、大胆翻案映画化。
確かに見てみると単なるお涙頂戴モノではなく、手塚治虫も生命の物語を手掛け、それともドキュメンタリー出身の監督の作風か、死生観を感じる内容に仕上がっていた。
画の才能ありながらも、それを絶ち、窓拭きのバイトで生計を立てる青年・園田。
夢も無く、何事にも無気力で、映画が始まった時、彼は“死んでいる”ようなもの。
そんな彼に本当に死の宣告。
癌で余命3ヶ月。
ショックは隠し切れない。そして、怖い。
苦しい抗がん剤と副作用。
自暴自棄にもなり、勝手に病院を逃げ出す。
自分はこのまま、死んでいくだけなのか…。
しかし、死を前にして人は何かを見つけ、見出だす事も。
病室で隣のベッドの中年サラリーマン。
小さい身体で病と闘う少年。
園田は見るからに不器用で人付き合いが苦手そうだが、不思議と交流を持ち、懐かれる。同じ苦しみや境遇の者同士故、通じるものがあるのかもしれない。
一際強烈な出会いだったのが、女子高生の真衣。
ひょんな事から“妹役”を頼んだ事がきっかけ。
とにかく喜怒哀楽、激しい感情の持ち主。余命宣告を受けた園田に「死んじゃえば?」と言ったかと思えば、何故か不思議とつるむようになったり、制服姿のままプールに飛び込み金魚と共に泳ぎ、そしてまた園田に辛辣でありながら的を射た言葉を浴びせる。
不思議ちゃんのようでもあり、自我が強くてちとイラッとさせたり、そして哀しい面も。
青春ラブストーリーとされているが、男女愛というより人間愛の感じがした。
翻弄されながらも強く惹かれ、関わり合った人たちに影響を受けていく…。
しかしそれでも、再び画を描こうとはしない…。
今じゃすっかり日本中を虜にした楽曲で有名だが、RADWIMPSの野田洋次郎がいきなり主演で演技に初挑戦。ながら、難しい役所を自然体でなかなか好演している。
リリー・フランキーも好助演、野田ファンの宮沢りえや大竹しのぶのゲスト出演も豪華だが、やはり存在感を放つのが杉咲花。
脚本を読んで絶対演じたい!…と勝ち取ったほどの熱演。本作の後から売れっ子になる彼女だが、絶叫演技のこの時から。
出会いがあるのなら、別れも。
病人同士の別れと言ったら…。
ベタな問い掛けかもしれないが、自分は何の為に生きているのか。生きてきたのか。
そして彼は再び、筆を取る。
タイトルの意味がここに。それは、圧倒されるほどで、荘厳でもあった。
園田にとって生きるとは、画を描く事。
あなたなら…?
死を前にして、生を見出だす。
今、生きている。
ラストの園田の台詞に打たれた。
杉咲花ちゃん演じるまいの家庭環境だったり思春期の不安定さだったりが目の奥や細かい表情から読み取れて苦しくなる。
洋次郎からはもちろん、花ちゃんのお芝居からも洋次郎が普段詩に込めるような深い想いと似たようなものを感じた。
主題歌「ピクニック」昔から好きでよく聴いてたけど、より一層好きになった。良い曲。
「私が生きてるんだから、生きろよ」
「僕、生きてますよ、今」
素敵な映画でした。