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いしゃ先生コメント(13)
村長である父親に騙される形で村医者になった周子。貧しい村らしく、村民に金も無ければ一風変わった女性医師なんて、当時信頼を得るためにかなり苦労をしたに違いない。
観てビックリしたのは平山あやである。若い頃、バラエティアイドルとして活躍していた彼女しか記憶にない私。キチンと女優をしている姿なんて見たこと無い訳で、、、。大根役者でも無くしっかり女優をしている。
今後も彼女の女優姿を観たくなりました。続けて貰いたいなと。
私も田舎町出身で幼い頃は病院では無く、お婆ちゃん医師がこっそりやってる様な近所の診療所で診察して貰った記憶があります。そこは限定された地域の人ばかりだったので診察しに行くというよりかは遊びに行く様な感覚。何故か調剤する廻る機械が好きだったw
あのお婆ちゃんもいしゃ先生だったんだろうな。
地域の人に愛され、尽くして。
地域限定の人物の話かも知れませんが、地元の人々が未来へ残しておきたい話。私は支持しますよ。こういう映画を。
昭和初期、女性というだけで医師として住民に受け入れてもらえない時代、ワンピースを下着のようで下品と言われる田舎の村、そういう場所で生涯を村民のために捧げた尊い女性医師のお話。
この時代に「命は平等」であるとして、貴賤を問わず医療が受けられる世の中を目指した先進的な人物で、彼女の姿勢は現代においても尊敬に値する。
そんな彼女が故郷の村へ帰ることになった理由は本人の希望によるものでもなく、任期を終えても村に残ることにしたのも、キッカケあってのことだった。
大きなことを成し遂げた人が、必ずしも人生望み通りに生きてきたわけではない、一つの例を見せてもらった。
与えられた場所で、自身の出来ることで社会に貢献することの尊さも教えてくれる。
一方、描写が少なく複数の疑問が残る。
・村八分のような扱いを受けていたところから村民の信頼を得るまで、(初期の?)無料診察以外に何があるか
・無料診察はいつまで行っていたのか、診察料を払ってもらうようどのように村民の理解を得ていったか
・無料で診察を続けるなか、薬や注射などの出費についてどうやりくりしていたのか
・第二次大戦という、どう考えても大変な時期を過ごしたと思われるが、その頃の村はどうだったのか。医師としての苦難は無かったのか
etc...
確かに描かずとも映画は成立するかもしれないが、終始淡々と事実だけが羅列されている感じで、主人公の心理描写が少なく、物語に入り込むには物足りなかった。
その役割を「手紙」が担っているかのようにも思うが、複雑な心境までは描かれておらず、読み取るには足りない。
結果、個人的に最も感心したのは、映画よりも平山あや。
バラエティアイドルの彼女しか知らなかったが、ちゃんと女優だなと思った。
故郷のために東京から戻り、厳しい自然の中、1人で若い女性に対する偏見と闘いながら、道を作り、村の人々を支えた人。
映画の中では、彼女がきれいすぎるとは思ったが、力が足りないことへの苦しみも表れていたところに共感した。しなやかで強い女性だったのだろうと思う。もっと色々なエピソードを知りたいと思う、山形に行ってみたくなる映画だった。
実話かどうかにはあまり興味がないつもりでいた。
が こういう話において そこは結構 重要な事なんだと思った。
お産で亡くなるのは実際は父の母、つまり祖母にあたる人のようで、わずか23歳だったと言う。
それがきっかけかは知らないが、父が 村に医者をと願っていた。
母親が亡くなってしまうタイミングは映画にある通りのようで、それで婚期を逃したというのも事実であるのかもしれない。
主演の平山あやは、昔ウォーターボーイズでもキュートな演技をする人だなあという印象だったが、なぜこういう役所に彼女なのかの疑問は モデルの志田周子さんの写真を見てなるほどと思った。
似てるのだ。
それが製作サイドの意図かはまあわからないですが。
内容は、起伏のない、実話をなぞる淡々としたもの。
それがずっしりと重みある作品にしていた。