誰も知らない
プロット
日本
08月07日 2004 劇場で
希望と絶望 その涙を誰も知らない
プロット
日本
07月08日 2022 劇場で
誰も死なない
プロット
日本
11月22日 2008 劇場で
まだ君を知らない
プロット
日本
10月07日 2023 劇場で
猫は、なんでも知っている
プロット
ニュージーランド
06月19日 2004 劇場で
君は行く先を知らない
プロット
イラン
08月25日 2023 劇場で
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ペルシャ猫を誰も知らないコメント(10)
まぁストーリーもそれなりに考えさせられるものではあった(検閲とかやってるんですね~)。
しかしそれ以上に、乾燥したテヘランの街並み、その濃厚な香りを漂わせる映像でした。
微分音豊かなイランポップスもとてもよかった。
イスラム系の映画が好きなのかもしれない。
これから2週間ほど、東欧系の映画をいっぱい見る予定です。
そんなイランの音楽事情のカタログ的に紹介しつつ、規制だらけの中でとてもエネルギッシュに音楽に取り組む姿勢が素晴らしかった。表現とは、自由とはと非常に突きつけられるものがあった。
主人公のアデルがよく喋ってよく動き、見ていて元気が出るキャラクターでとても魅力的だった。
好きな映画評論家が同作を推奨。
これは観ねば、と当日券を購入し鑑賞してきました。
☆彡 ☆彡
カンヌ映画祭「ある視点」部門で特別賞受賞
たしかにコレを公開したら国にはいられなくなるだろうな
上映前に
バフマン・コバディ監督のメッセージがスクリーンに出ました。
「この作品を撮影したことで国にいられなくなりました」
「現在のテヘランを映しました。ナデル役だけプロの役者、あとは本物」
今作を観る前、ある作品を思い出しました。
『オフサイド・ガールズ』(06)こちらもイランの映画で、
ワールドカップサッカーの観戦の禁止されている女性たちが
スタジアムに入ろうと悪戦苦闘するコメディっぽい作品です。
「女性がサッカースダジアム観戦できないなんて、ウソでしょ」
そして、今作、
「コンサートができないなんて、ウソでしょ。
えっ、コンサート会場で400人が逮捕された?
女性ボーカルが犯罪になるなんて、ありえないでしょ」
イランでは
特に西洋音楽に対し、規制が非常に厳しく
国からの許可がおりないとコンサートが開けない。
もっとも、それ以前に、国から許可がおりないそうです。
そのため、
インターネットなどを使い、
闇でコンサートを開催する。
そして当局に見つかった場合は逮捕されてしまうそうです。
今作を作るキッカケになったのは
監督自身も音楽が好きだったことと、
そんな抑圧された環境を抜け出し、自由に音楽ができる環境を求めて、
海外に行こうとしていたミュージシャン2人との出会いがあったからだそうです。
作中のセリフにもありますが、
今作、バフマン・コバディ監督は無許可で撮影をしています。
厳しい状況の中でも
懸命に音楽表現をしようとする人たちに
触発された、そして勇気をもらったのは間違いないでしょう。
監督、その2人を軸に映画製作決定。
フィクションとドキュメンタリーを融合させる形をとりました。
監督が記されていた通り、
たくさんのテヘランの風景が映しだされます。
厳しい環境の中、作り出された音楽に乗せながら、
まるで、そんな環境がウソのような力強いリズム。
まるで、一本のビデオクリップのような映像が次から次へと。
そこには
音楽を演奏する困難さだけでなく、
海外へ行くことの難しさ、ペットに対する法律など、
日本では考えられないようなイランの現状が盛り込まれます。
“表現の自由”
そんなものは、まったく存在しません。
わたしたちが、普段の生活であたりまえのようにしている、
音楽を聞く、音楽を演奏する、犬の散歩をする、そんなことまでもが、
国の法律によって禁止されている日常。繰り返しになりますが、日本では想像もつきません。
そんな衝撃的な事実が、次々に
我々の目の前に突きつけられるのです。
☆彡 ☆彡
変な話ですが、
日本に住んでいてよかった、と心の底から感じました。
どこまでがノンフィクションなのか
わかりづらい部分はありますが、それを
軽々と凌駕してしまう力が、この作品にはありました。
作品の性質からして、
日本でのロードショー公開は難しいかもしれません。
あとは、配給会社の監督にも負けない勇気と英断に期待します。
次はシリアかバーレーンか、はたまた・・・。
今作の舞台となっているイランは、上記の国々とは多少環境的に異なるため、現在のところあまりきな臭い話は伝わってこないが、アラブの春が起こる以前から一部では革命が近いとも言われており、いつ不安定な状態になってもおかしくはない。
そしてこの映画からはそういった空気がよく伝わってくる。
逮捕を恐れながら細々と、自らを表現する術を見つけるか、規制を逃れて国を出るか。
夢など持たずただただ日々を生きるのか、夢の実現に悪戦苦闘するのか。
しかしその夢は叶うと思われたその瞬間に、その手から零れ落ちる。
映画全体としてはイランの国情をそれほど悲劇的には描いていないが、
曲中のインサートカットなどで、イラン国民の苦しみをユーモラスに捉えていて、秀逸。
自分はあまり“ロック”や“音楽”といったものにはあまり興味のない方の人間だが、それでも十分楽しめた作品であったし、個人的に挙げるとすれば、アラビア語のHIPーHOPを初めて聞いたが、意外なカッコよさにもっと他の曲も聴きたくなったものだ。
それでもあまり評価が上がらなかったのは、監督が「亀も空を飛ぶ」のバフマン・ゴバディなのだから・・・もう少しシリアスに?真面目に?描いてほしかった、といったところか。
民謡あり、ロックあり、ラップあり。
どれも現状に対する怒りや焦りや希望がこめられた魂の音楽だった。
この21世紀にロックが厳しく規制されている国は、おそらくイランだけではないだろう。
信じられないような話だけど、だからこそ生まれる音楽もあるのだな。
まさに反骨精神ロック。
そこには抑制から生まれる才能、またはつぶれてしまう才能のふたつがあるのだけど。
でもこれ、ただの青春音楽映画じゃない。
覚悟の上でゲリラ撮影に挑んだ映画出演者&製作者は国を負われたし、ラストには体制に対する監督の辛らつなメッセージがぶっこまれてる。