ペルシャ猫を誰も知らない

7.0/10
合計18件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   106分
言語   まだ情報はありません
地区   イラン
劇場で   08月07日 2010
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ペルシャ猫を誰も知らない プロット

「酔っぱらった馬の時間」「亀も空を飛ぶ」などで国際的に高い評価を受けたイランのバフマン・ゴバディ監督が、テヘランのアンダーグラウンド・ミュージック界を題材に、17日間に渡る無許可ゲリラ撮影を敢行して撮りあげた青春群像劇。西洋的な文化が厳しく規制されているイランで、当局の目をかいくぐってバンド活動に熱中する若者たちの姿をリアルに描く。第62回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で特別賞を受賞した。

ペルシャ猫を誰も知らない 俳優

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ペルシャ猫を誰も知らないコメント(10)

Ceitsgenran
Ceitsgenran
イランは検閲が厳しい国である。欧米はそれを”イスラム”だからと考えたがるが、それは偏見というもの。日本人も欧米の情報を元にそう思いがち。
イランは革命からすぐイラクとの戦争に突入し、しかも欧米と険悪な関係にあった。そんな中で体制転覆を恐れるあまり、今までずっと戒厳令、国家非常事態体制の状態なのである。革命国家にはこうした負の面があることは歴史が証明している。
フランスは革命後の混乱と外国からの圧力により恐怖政治に陥った。ロシアは革命から独ソ戦、冷戦、ソ連邦崩壊まで非常事態体制国家のままで終わった。イギリスの清教徒革命後におけるクロムウェル体制は、ほとんど戒厳令体制である。宗教や思想は案外関係ないのだ。ただ、抑圧の大義名分に使われているのだ。

そんな中で検閲の目をかいくぐって広げられるイランのアングラ音楽。その知られざる音楽に触れることのできる貴重な映画。自由にやれない分、楽しく真剣に音楽と向かい合っているのが伝わってくる。しかも、皆さん逞しい。ナデルと警官のやりとりなんて最高。ネガルやアシュカンと違ってイランに残る決意をしている人々も、自分なりに将来を見据えている。仲間、連帯感のようなものがある。音楽をやりたい飢餓感、必然性、それらが彼らをより魅力的に見せていると思う。

アメリカや日本は自由である。だが、若者を中心とした虚無感は何なのか。つまりは、ハードに監視されなくても、ソフトに都合よく監視されているののだ。都合の悪いことは”自粛”しろということだ。メディアなどを通じて、反抗心はやんわりと去勢される。冗談と笑いがあふれ、怒りの感情は巧みにスポイルされていく。宴の後の虚しさが社会を覆い、今が大事で将来が見えなくなる。つかの間の宴、つかの間の人間関係。連帯は無く孤独が支配する社会である。こういう国ではロックの役目は終わっているのかもしれない。日本は自由だというが、自殺者3万人で自分探しが流行る国ってどうなのよ、と自問したくなった。

ちなみに、ネガルが可愛い。アシュカンがちょっと羨ましかった。
advpqev
advpqev
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西洋文化は規制されるイランで、彼等は牛小屋や地下室などで当局の目を盗んでバンドの練習をしています。
コンサートを開くのにも許可が要るのですが、伝統音楽以外は認められません。
イランの音楽を初めて聞いたのですが、凄く面白いんです!ロック、ヘビメタ、ポップスが、イランの伝統音楽とミックスされてる。新鮮です。
そして「ロックの核心は反体制、反権力」というカート・コバーンの言葉を思い出しました。
メッセージ性が強い。まるで70年代のロックを思い出します。そして西洋色が強い。
だからこそこの国では、彼等は日の目を見ない。
特にHipHopグループ「ヒッチキャス」のライムは、格差社会に対する痛烈な批判で迫力があります。まるでICE- Tのアルバム「Body Count」に出会った時のような衝撃を受けました。かなり凄かった!彼等に対抗できる、米国の現役ラッパーが直ぐに思い浮かびません。でも彼等もきっと、この国では直ぐには大成しない。どんなに才能があっても。

冒頭、本作の監督バフマン・ゴバディが歌うシーンがあります。監督自身も、撮影には当局の許可が要り、自由に映画制作ができない鬱憤を抱えているのですが、それを歌で発散している。そんな監督が出会う、二人のミュージシャンがネガルとアシュカン。
でも許可が下りないなら、ゲリラ撮影すればいい!と、同じく音楽で体制と戦うミュージシャン達と、逮捕覚悟で本作を撮ったようです。
タイトル「ペルシャ猫を誰も知らない」
イランはその昔、ペルシャと呼ばれていました。そこで有名なのはペルシャ猫。イランの法律では猫を外に出すことはできません。
どんなに素晴らしくでも知られることのないイランのミュージシャン達と、家の中に閉じ込められたペルシャ猫を重ねたタイトル。
本作の撮影後、ネガルとアシュカンはイランを離れ、監督も国内に留まるのは危険と判断。イランを離れたそうです。

ミュージシャン達は確かに体制批判をしているのですが、でもそれは祖国への愛が根底にある。けれど、生まれ故郷から離れなくてはならない。離れないと好きな音楽や、映画は撮れない。
イランが拒む西洋文化とは、つまりキリスト教でもあるのだけど。信仰心皆無な私には、この辺りを語るだけの知識と、諸々配慮した言葉選びができる自信がないので、「よく分かりません」と逃げます。すみません。
けれど、ただ純粋に熱く音楽を(自由に)演奏したいだけの才能ある若い子達がこうして戦い続ければ、いつか壁が崩れる。そう、願いたいです。
Lgtiohctclre
Lgtiohctclre
ネタバレ! クリックして本文を読む
「亀も空を飛ぶ」などの作品で知られるバフマン・ゴバディ監督が、本国イランでのゲリラ撮影を強行して描く青春ドラマ。

そう遠くない昔、灼熱のマグマを吹き上げる噴火の瞬間をテレビで観賞した事を思い出した。寒々とした夜空、微かに光る星に混じって赤々と燃え盛る熱の帯。現地住民には大変申し訳ないが、その荒々しい衝動と、光と闇の劇場に、胸がざわついた。外に、出たい。空を、染めたい。そんなすさまじき欲望が、画面を通して網膜を燃やした。

本作を観賞していると、その時に感じた心の揺れが瑞々しく蘇ってくるのを感じる。物語の軸として、芸術、音楽の規制に苦しむ男女が、何とかして自由に音楽を奏でるために奮闘するという展開が用意されている。しかし、この作品の根底に流れているのは、一組の若者が辿る音楽紀行に留まらない。

その表向きの仮面の裏には、イランという国家が当然のように貫いてきた統制、異文化の迫害に対して、国民が長年胸に溜め込んできた欲求不満、抑えきれないエネルギーを大らかに認め、肯定する視点が色濃く反映されている。

地下の奥深くで、不衛生な牛舎の一角で、そして廃墟の高台で、秘密裏に繰り広げられる音楽の宴。一見すると、その鬱憤の象徴のような描写に同情すら覚えてしまうが、当の演奏者は後ろめたさや、悔しさの感情は薄い。むしろ、そこで起こる幸福に身を委ね、今を生き抜く力強さが満ちる。作り手はここに、物語を超えた自国、イランへの絶対的な信頼と、希望を見ている。

俺等は、まだやれる。まだ、人生を楽しめる。いつか、俺達の力で世界を、この国を変えてやる。そんな可能性が、未来が信じられる確かな主張が物語りに溢れ出し、観客の心さえ奮い立たせてくれる。嬉しい、嬉しい。

最終的に、若者の挑戦は思いも寄らぬ形で失敗することになる。それでも、この物語が主張する未来と、光への確信は消えない。確かに映像となって、世界に届いている時点で。

夜空を、見たい。その一心で、灼熱のマグマは私達の前に踊りだした。イランの国民は、既に夜空の存在を知っている。そして、必ず空へと昇る。そんな可能性を信じさせてくれる、人間の熱さ、輝きに彩られた名品だ。
EtmircnAaype
EtmircnAaype
☆☆☆★★

※ 鑑賞直後のメモから

以前に、『亀も空を飛ぶ』で衝撃を喰らったバフマン・ゴバディ監督作品。

イランを飛び出て海外で音楽を目指す若者が、ナデルとゆう男に様々なミュージシャンを紹介され…。

イランで活動する色々なジャンルのミュージシャンが画面に登場して来る。
ナデルのオートバイに跨り、彼等を訪問して行く。
一見するとロードムービーの様な作りにも感じるのだが。何となくロードムービーとも言い難い雰囲気がある。
その為に、映画が何を訴えかけているのか…をなかなか理解出来ずにいた。

すると突然、画面にはナデルが探していたイランのラッパーが現れる。
彼は言う。「俺はここを離れない!」…と。
その後、このラッパーの歌声と共に。PVの様な映像が画面から流れて来る。
すると、その映像の背景で。ラッパーと同時に映るのは、イランに於ける貧困であり。朽ち果てた残骸の映像だ!
それまでにも、様々なジャンルのミュージシャンが登場しては、PVらしき映像が画面には映ってはいた。
但し、それらのミュージシャンには。主人公が歌うバンドのメンバー募集とゆう理由があった。
このラッパーが登場する辺りから、何となく映画の方向性がはっきりと。彼等ミュージシャンを通してのイランの現状を訴えかけている様にも受け取れる。

何をするにも〝許可〟〝許可〟〝許可〟が必要なイランの現実。
コンサートを開くには何故だか女3人が必要…とか。犬を外に連れて行くには許可が必要…等。
全ては当局の監視の元に、がんじがらめになっている現状に抗議している様に感じられた。
特にナデルが当局に対して、口八丁手八丁で泣き付く場面は。思わずゲラゲラと笑ってしまう事間違いなし。

そして映画はラストへ。
『亀も空を飛ぶ』のラストには、思わず脳天をバットで殴られたかの様なしょかを受けたが。今回はシンプル且つ単純でありながらも。やはり観ていて鬱に陥ってしまうが如くの締め方で、軽い衝撃を受けた。

全編で、当局からの許可を得ずのゲリラ撮影を敢行…との事でしたが。ワンカットだけだが、パトカーの内部からのショットがあった事実から考えると、多少は眉唾物かな?…と言ったところ。
勿論、全部ではないでしょうけど。

2010年8月27日 ユーロスペース/シアター1
Shsokngmixp
Shsokngmixp
映画を見れば明らかですが、イランではヨーロッパ的な色彩の強い音楽や映画等の表現にたいする当局の規制がかなり厳しいのが現状。それもこの映画のように政府の方針を批判するような映画であれば撮影許可がでないのは当たり前で、インタビューによればゴバディ監督は無許可で撮影を敢行したそうです。撮影が発覚し当局に拘束されればどれだけの処罰を受けるかわかりません。そんな状況でこの映画を撮り切り、世界中の映画館で公開されるところまでこぎ着けたこと自体に、日本やアメリカで作った映画では決して持ち得ないような大きな意義があると思います。

内容面では中盤が退屈であるとかラストシーンが唐突であるとか批判的な意見もありますが、この映画を見れば作り手の「なんとしてもイランのミュージシャンや映画人がおかれている状況を世界の人に知らせたい」という熱い思いが伝わってくることは間違いないです。

見に行って損はない映画だと思います。