実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) プロット

1972年2月、連合赤軍の5人の若者たちが軽井沢のあさま山荘に10日間に渡って立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた"あさま山荘事件"。日本中に衝撃を与えた、あの事件に至るまでの連合赤軍崩壊の過程を鬼才・若松孝ニ監督がドキュメンタリータッチで描いた群像劇。昨年の第20回東京国際映画祭では「日本映画・ある視点」部門の作品賞を受賞。また、08年ベルリン国際映画祭では最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞のダブル受賞を果たした。

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実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)コメント(15)

Siheaerevld
Siheaerevld
けれども、そこに価値があるように思う。

古くは桜田門外の変・2.26事件、最近(?)の日本ではオーム真理教、イスラム国に走る人々に象徴される青年の暴走。そして、この事件。
なんで? どうして?

最初の、安保に反対するところまでは理解できるけれど…

1970年代に大学に行けるのに、自分をプロレタリアートに規定すること自体がすでに矛盾…。
(1980年代には大学がレジャーランド化しているから、このころ大学に行けるのは金持ちだけってわけではないが、それでも金銭的理由から、奨学金を使っても進学できない人はたくさんいた)

”山”に入ってからの森と永田の行動は、自分の権力に固執する姿にしか見えなかったな。
何をどう正当化しようと、結局は自分の欲望に振り回され、暴力が幅を利かせていく…パワハラの過程にも似て、興味深かった。

”山”を下りてしまえばいいのに。
傍から見れば、単純なことなのに、そうしないではまっていく彼ら。
森が一度離脱して戻ってきたのはなぜだろう?単に思想的なものには見えない。
世間には居場所がない彼ら。
映画の中では幹部には見えないが、幹部としての、高邁な思想に命を懸けているという(傍から見ればどうでもいい)プライド。
映画の中でははっきりとは語られない。ただ、鑑賞者が想像するのみ。

「本当の勇気」っていう言葉が出るけれど、その後の行動をみると、その言葉すら、観念化していて、頭で考えているだけなのね、とがっかりする。
今の言葉でいうと「意識高い系」で実態は空っぽ。インスタ映えに酔っているのと同じ。
世間では認められないけれど、世間を騒がせるような・他の人がためらうような大きなことをやって自分の存在を認めさせようと意気がってつるむ…昔の暴走族の発想にしか見えない。
世界の明暗は自分が握っている?…中二病の発想?けれど、彼らは現実的な方法をとれない。

「自己批判せよ!」
『さらば、わが愛 覇王別姫』でも出てきたな。表面的にしか関わりのない他人に、その人の人生をとやかく言う権利なんかない。

いじめ・DV・パワハラの構造。
集団圧力。同調圧力。
最近映画化もされた、(倫理が規定されていない昔に行われた)USAの幾つかの心理実験。
電気とネズミを使った学習性無力感の実験。
視野狭窄。
”山”での状況を説明する理論はいくつかあるけれど…。

映画としては、ドラマチックな展開は、遠山の最後の言葉や、予告で流れる叫びだけで、当時の出来事・映像を交えて、淡々と描く。
原田氏のナレーションは、明瞭で落ち着いていて耳になじみやすく、映画に入っていくのを助けてくれる。
だが、グループが分裂・統合する様が複雑で展開が早く(それぞれの主張が何がどう違うのか理解が追い付かない:だから何?と興味を失っているのでなおさら理解できない・女子中学生の対人関係みたい)、頭が混乱してくる頃、”山”の場面になる。
リンチがエスカレートしていく様が迫真で、本気で森と永田をぶちのめしてやりたくなると同時に、その論理の幼稚さに唖然とし、このエスカレートに歯止めがかからぬ理由をあれこれ探り出す。ーそういえば、この映画、R指定されていない。映像的にグロいのではなくて、いびり方が陰湿・狂気。
そして、あさま山荘の場面、その後の顛末がテロップで流れ、エンド。
井浦氏、奥貫さん、佐野氏他出演。永田を演じられた並木さんがすごい。

映画としての完成度は高い。
が、そこに映し出されているものを全力で否定したくなる。
だからこそ、現代に、日常に生きる私たちとして、「本当の勇気」って何なのかを考える一つのきっかけにはなると思う。

<余談>
学生運動を懐かしがっている人たちって、熱中して取り組めた自分やその”お祭り”的な雰囲気を愛おしんでいるだけ?自分のことしか見えていない?(高齢者による自動車事故って、この世代)
「自己批判」とかいうけれど、相手への批判ばかりだよね。そして社会のせい。自分では責任を取らない。
その後、この世代の人たちがバブルを謳歌したことを思えば、猶更、学生運動って何だったんだろう。
土地ころがし等他人を食い物にし、他人を押しのけての饗宴。
未来の子どもたちへの”国債”という借金。
格差・下流とかの言葉。
これら今の現状と学生運動って、どうつながっているのか?
学生運動の理念は理念。社会の中での自分の地位を確保するための競争は競争なんだろうか?映画に出てきた要求も、自分たちの利得要求ばかりだったな。
常に右肩上がりの上昇志向=天井知らずに欲しがるだけ、むさぼり食らい尽くす。餓鬼。
それこそ、学生運動にはまった人たちに「総括」「自己批判」してほしい。

他の人へのおもいやりを示せない革命なんて、結局、自己中人間の自己満。
そうやって、自分たちは好き放題やって、若者の将来の芽をつぶして、若者批判って、この映画に登場した面々と何が違うのだろう?

もし、現代的な革命があるとしたら、今の子ども・若者に何を遺せるかを考えることから始まるんだろうと、この映画を見ながら思った。
Releafnbutailu
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1960〜70年代
連合赤軍: 赤軍派+革命左派
共産主義化のための革命を起こそうとする

井浦様は、最後まで逮捕されずに残ってあさま山荘事件を起こした連合赤軍幹部の一人、坂口弘(革命左派)

「自己批判」論理的に反省すること?
「総括」今までの自分の行為を振り返って分析して自己批判し、自分にとって何が一番革命的か考える
「銃による殲滅(せんめつ)戦」

連合赤軍のメンバーは革命戦士になるため山の中で訓練するが、赤軍派創立メンバーの遠山美枝子(坂井真紀)など数名が「総括ができていない!」と赤軍派リーダーの森恒夫(赤軍派)と永田洋子(革命左派)に目をつけられる。
他にも、総括するためという名目で何人ものメンバーが暴力を受けて数名が死んでしまうが、森は彼らを殺したのは自分らではないのであり、その死を共産主義化に対する敗北だと言う。
遠山も「総括するために自分を殴れ!」とか言われ、死ぬのが怖くて従わざるを得ず従うが、そのまま放置されて精神を病んで結局死んでしまう。
ついには幹部メンバーも「処刑」といって殺されたりするが、みんな自分が暴力を振るわれるのが怖くて何も言えない。

小屋を出たあとバラバラに行動するが、井浦様と共に行動していたメンバー5人以外は全員検挙される。
残った5人があさま山荘を占拠する。

いやー頭おかしいでしょ!!
最初から最後まで、自分たちの行為に対する正当化の無理矢理感が半端ない!!
理由なんかどうでもよくて、ただ山の中の集団生活にストレスが溜まってその捌け口としているようにしか見えない〜
「総括」という言葉を何度も何度も繰り返して相手を攻め立てて、リーダーに言われるがままに全員で集団リンチするなんて、頭のおかしい変質者の集まりって感じ。

でも、とにかく胸糞が悪いんだけど、 暴力や殺人を抜きにしたら、連合赤軍メンバーの情熱、求心力、団結力は凄まじい。
今、こんだけ何かに命を捧げられる人っている?
あさま山荘の5人も、あれだけ追い詰められた状況になってもまだ「クッキーを食べていた!総括を求める!」とか言ってるし、あの目の覚めなさは狂気。
頭おかしいと思うけど、あれだけのことを徹底してやったからこそこの事件について今も語り継がれているのかも。
良い語り継がれ方じゃないと思うけど。

共産主義とか私は個人的に「え?」って感じだけど、当時の人は当時の人で思うところがあってそれを目指したんだろうし、そういう時代だったのかなぁ。
思想や求めるものがたとえ間違っていなくても、やり方を間違えるととんでもない方向に行ってしまって、しかもその道程の真っ最中にいるときはそのことに気付けないという危険性がある。

でもでも、その危険を避けるために自分を客観的に振り返る「総括」「自己批判」なんじゃないかと思うんだけどねぇ。
強要されてするもんじゃないね。

学生運動とか赤軍派とかについて予備知識ゼロだし、聞き慣れない言葉ばっかりで、
共産主義化してどうしたかったの?
あの小屋で何してたの?
革命を起こすって何をしようとしてたの?
山荘で「俺たちにあるのは、勝利か死だ」って言っていたけど、どうなれば勝利したことになったの?
という根本的な疑問が残ったのでした。

長かったーーーーーーー
Xhmoisspngk
Xhmoisspngk
かなりの取材で作られた作品だと思います。
坂井真紀さんの演技がピカイチでした。
内容も人間の本質を綺麗事無くリアルに作られてます。若さゆえに革命の名を借りて人間の欲望や恐怖心、人間の弱さを上手く描かれてると思う。3時間の映画なのにじっくり観れました。だがそんな若者でも信念の志しをあそこまで行動出来た事は無い者からしてみれば少し羨ましいと思いました。
Vlsrlmaraei
Vlsrlmaraei
連合赤軍あさま山荘事件までの道程を描いた本作、ドイツ赤軍を描いた『バーダー・マインホフ 理想の果てに』と対比させて観ると、その特異性が際立ってくる。

『バーダー・マインホフ』はドイツ赤軍内部を描くと同時に、警察幹部(ブルーノ・ガンツ)らの視点も加えている。
対する側も描くというのは極々普通のことなのだが、

本作には連合赤軍メンバー以外出てこない。例外として山荘の管理人がただ一名出てくるのみである。
(警官がエキストラ的に出てくるが、主要人物としては扱われていない。)

対峙する筈のものは描かれず、徹底的に連合赤軍内部の描写にこだわるのである。異様である。
彼らが闘うべき相手は外部では無かったということか。
延々と続く内部の描写は、観ている側の逃げ場が無くなるほど、息苦しく迫ってくる。
そしてそれは当然、作り手側にも言い訳や逃げ場は用意されていないということである。

徹底して内部のみを描くという手法と、ラストの加藤元久のセリフは、
事件に対する、いや時代性に対する、若松孝二監督の確固たる立場表明であった。
監督の姿勢を突きつけてくる凄まじさが、印象深い1本であった。
Svmeeopnixpe
Svmeeopnixpe
3時間10分の大作ですが、全く長さを感じることなく、スクリーンに釘付けになりました。

“総括”という名のリンチの犠牲者は11人、8ヶ月の子を身ごもっていた女性もおり、その子を含めれば12人です。
一体、どうして人間はここまで狂気に走ってしまうのか?

赤軍派の森恒夫はかつて、一旦は組織から逃亡した人間でした。
再び戻ってきたとき、幹部たちは逮捕されて、森が主導者になっていったのです。

森は元々極めて臆病な人間だったのでしょう。
弱い人間ほど強がったり、力に訴えて、自制が効かず暴走してしまいます。

異常な思想に取りつかれ、閉塞した空間で、感覚が麻痺していき、自らが失墜したり被害者にならないため、追い詰められて、そうする以外なくなってしまうのではないでしょうか。
わずかでも人心を掴む知恵があったなら、こんな異様な事態には陥っていかなかったでしょう。
人は心で動くものであり、力でねじ伏せようとする者は、いずれ間違いなく破滅するのです。

僕も若いとき、創作によって社会を変えたいと思い、前衛的な思想に駆られていた時期がありました。
ある天才的な同人誌仲間と、現実離れした観念的な世界に生きていました。

20代のときは、現実社会の動かしがたい重みが分かりませんが、エネルギーと熱意はあり余り、過激に傾倒しがちです。
それで破綻して挫折するまで、どういう結果が待っているか気付くことはできないのです。
従って僕も、連合赤軍のアブノーマルな偏向が、全く理解できないわけではありません。

それからまた、記憶に新しいところでは、あの「オウム事件」があります。
信者は誰もが初めは、真理を求め、自分を成長させて、人のためになりたいと願っていたはずです。

ところが、オウム真理教というねじれた教義に染められ、マインドコントロールという物理的・強制的な手法もありましたが、通常は考えられない蛮行を犯すまでになって行ってしまいました。
純粋で高いものを求めている人間ほど、一歩間違えれば常識はずれの道を突き進んでしまうのかもしれません。

そして松本智津夫もまた、臆病な人間でした。
ヒトラーも然りです。

そういうことから考えれば、連合赤軍の暴挙は全く不可解なでき事ではなく、誰もがそうなる可能性を秘めているとも言えるでしょう。
若松監督は、それを我々に突きつけているのかもしれません。

翻って現代は、長期にわたる不況で先が見えず、自分の力で世の中を変える夢想をするどころか、自分自身の将来さえおぼつきません。
社会と関わることを避けて引きこもったり、心を病む若者が増えています。

30年ばかりの間に、日本は何と変わってしまったことでしょうか。
だがそんな社会でも、何か特殊な空間に取り込まれると、時代によって形は変わっても、同じような過ちを犯す可能性が、人間の心の病的な部分には潜んでいるのかもしれません。

あと何年かしたら、今度はオウム事件が映画化されるときが来るでしょう。
そのとき我々は、何を見せつけられることになるのでしょうか。

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