アトランティスのこころ プロット

自分のことしか頭にない母と二人で暮らす11歳の少年が、不思議な力を持つ老人と出会い、人生という現実の感動と悲しみを体験する奇跡の物語。原作は「グリーン・マイル」のスティーブン・キング。監督は「シャイン」のスコット・ヒックス。脚本は「ミザリー」のウィリアム・ゴールドマン。出演は「羊たちの沈黙」のアンソニー・ホプキンス、「15ミニッツ」のアントン・イェルチン、「パトリオット」のミカ・ブーレムほか。

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アトランティスのこころコメント(13)

Ebrgsnonhii
Ebrgsnonhii
人の心を読む超能力・・・映画の中では超能力らしくなくて、“まぐれ”という言葉で片付けてしまったほうが楽だ。少年時代の抽象化した思い出と(多分)勝手な推測が含まれているんだろうなと感じたあたりから、つまらなくなってきた。『光る眼』の件やジョン・ベンソンの話(少年は放屁の話が好き)というところは良かった。

『スタンド・バイ・ミー』な少年時代を思い出すストーリーだが、年老いたテッドとの温かい交流を通して大人へと成長する過程を描いたもの。しかし、事件らしい事件といえば、母親が密告したこととキャロルが殴られたことだけだ・・・それも淡々と語られるため、感動できなかった。
aafinfu
aafinfu
総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )

何の予備知識もないままに観ていたが、途中でこれはスティープン・キングの原作だろうなとわかった。「スタンド・バイ・ミー」や「グリーン・マイル」と相似性がある。

だがホプキンス演じるテッドがどんな能力を持つ人物だったのか、失踪した犬の張り紙は何なのか、わかり辛くてあまり入り込めなかった。
そもそも少年時代の不幸とささやかな幸せとを描くのに超能力者みたいなのが出てくるのは必然性があるだろうか。このような話がキングは好きなようだが、自分は何でもできる反則技のように思ってあまり好きではない。母親、友人、いじめっ子との関係を通しての少年時代の描き方が良いから、これだけで良かったのではないだろうか。主人公の少年、テッド、母親、キャロルの演技もうまくて魅力的だったが、超能力とそれにまつわる物語のわかり辛さが今一つ。名作「スタンド・バイ・ミー」には遠く及ばない。

ここでは悪役で出てくる母親だが、自分には面白い存在だった。まだまだ美しさの残る彼女は、母親というよりも女なんだろう。自分勝手で子供に犠牲を強いてそんな自分を正当化し続けるなどずるいし幼いし好きにはなれないのだが、それでも子供を捨てたり酒浸りになったりしていないだけまだましだ。決して幸福とはいえなかった彼女にしてみれば、子育てに集中するには自分の人生にやり残したことがたくさんあったんだろう。
Saaofgmnhu
Saaofgmnhu
久々も久々に、勝手にスティーヴン・キング原作映画特集その19!
そろそろネタも尽きてきたが25本前後で終わらせる予定ですのでひとつ。

今回は少しだけファンタジー風味のドラマ作『アトランティスのこころ』をご紹介。
監督は『シャイン』『ヒマラヤ杉に降る雪』のスコット・ヒックス、
主演は名優アンソニー・ホプキンスと故アントン・イェルチン。

あらすじ。
1960年の夏、ボビー少年の家に、間借り人としてテッドという老人が引っ越してくる。
ボビーを決して子ども扱いせず、色々なことを教えてくれるテッドは、
物心つく前に父を亡くしたボビーにとって大切な存在となっていく。
だがテッドにはある秘密があった。彼には様々な物事を見通す不思議な力
があり、その力を利用しようとする謎の男たちに追われる身だったのだ……

...

まずはやはりアンソニー・ホプキンスの演技。
心此処に在らずの遠い目を浮かべ、示唆に富んだ台詞の数々を噛み締めるように
語る姿や、ためらいがちながらも確かに少年への優しさが伝わる場面の数々が見事。
急逝してしまったイェルチン演じるボビーも、達者な演技で名優としっかり渡り合う演技を見せていた。

また、ホープ・デイヴィス演じるボビーの母リズも良い。
欲深く我が子を顧みない母親で憎まれ役ではあったが、女性を搾取対象と見なす人間も多かった時代、
女手ひとつで家計を支える事への焦りと、自由に生きたいという気持ちがない交ぜになった結果にも思える。
原作よりもやや優しく、ボビーとの関係も救いのある描かれ方になっていると感じた。

しかしながら、
テッドとボビーの距離が縮まっていく過程がやや駆け足に感じられるため、
いくつかの重要なシーンもややあっさりとした印象になってしまったのは残念。
また、キャロルとの初恋をめぐる描写は素敵だが
(「君の人生におけるどのキスも、到底そのキスには及ばない」)、
もう一人の親友サリーの存在感が薄い点は不満。

...

原作との差異について。
映画版では、老人テッドを追う謎の男たち(ロウ・メン)が政府の秘密機関のように描かれていたが、
原作の彼らは、キングの別作品『暗黒の塔』シリーズに登場する、別世界の邪悪な存在である。
この変更は『暗黒の塔』シリーズを知らない観客への配慮だろうが、その設定を省略した
影響で、テッドとボビーの最後のシーンの印象が弱くなってしまった感もある。

だが最大の差異はそこではない。
原作は全5部構成なのだが、映画版ではそのうち第1部と第5部のみが描かれ、
また第5部である重要なキャラクターが登場しないなどの大きな変更点がある。
映像化されなかった部分では、キャロルやサリー達が成長し、それぞれが無垢な心を
失ってゆく物語が展開され、より多層的な形で『無垢な心の喪失』が描かれる。
映画版はボビーひとりに話を絞っているので、どうしても原作の持つ深みには欠けるし、
やもすれば『スタンド・バイ・ミー』の亜種のような印象を受けてしまうのは痛い。
まあ、全部映画化すると4時間でも厳しいと思うが……。

...

それでもこの映画には心を動かすものがある。
次のセリフは原作には登場しないはずだが、原作を
ボビーの少年時代に絞って映像化したことを考えれば、
原作のエッセンスを巧く凝縮した良い台詞だと思う。

「子どものころはあまりに楽しいことばかりで、
自分がまるで魔法の国にいるように思えるだろう。
ちょうどアトランティスにいるかのように。
そして大人になると、その心は壊れてしまう。」

この映画で描かれるのは無垢な子ども時代の終わりだ。
小さい頃、世界は無邪気で楽しく、驚きに満ちた場所だった。
だがそこにある綻びに気付いた時から、世の中は少しずつ少しずつ、
初めの色鮮やかさを失ってゆく。そしていつしか、世界が、自分が、
まるで擦り切れくたびれた脱け殻のように感じるようになってしまう。

しかし、確かに、この世界に魔法は存在する。
初めてのキスは魔法だった。
旧友からの贈り物も魔法だった。
亡き父を笑顔で語る人との出会いは魔法で、
亡き母の輝くような笑顔の写真も魔法だった。
人生を変えてしまうものとの出会いはすべからく魔法だ。
世界を美しく輝かせ、その後もずっとずっと心の奥で
きらめき続けるものとの巡り合わせは、本物の魔法なのだ。

原作終盤での台詞。
「四十年は長い時間よ。人は成長する、成長して、
子ども時代の自分をあとに捨てていくものだわ」
「ほんとうに?」
(中略)
「魔法のほんの小さなひとかけらが残って、あとあとまで
ついてまわる……そんなこともあるんじゃないかな」

以上。
旧き良き時代を思い出させてくれる、優しく素敵な映画。

<了> ※2018.10初投稿