ブエノスアイレスの夜
プロット
アルゼンチン・スペイン合作
12月11日 2004 劇場で
タンゴ・イン・ブエノスアイレス 抱擁
プロット
アルゼンチン
11月01日 2008 劇場で
僕と未来とブエノスアイレス
プロット
アルゼンチン・フランス・イタリア・スペイン合作
01月14日 2006 劇場で
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ブエノスアイレスコメント(20)
1997年の香港映画で私の好きなスタートニーレオンが出ているのに驚いた。彼がずいぶん若い頃の作品である。若い頃の顔つきに今のトニーの面影がある。でも、彼はゲイ役があまり合わない。彼の怒鳴る声を聞くとギャング映画でも見ている気分になっちゃう。ごめんなさい。
もう一方の俳優レスリーチャンの方が似合うかもしれない。ううん、、、両方ともなんとなくマッチしない。有名な俳優だからこの映画をスターダムに載せるため監督が使ってみたかったのではないかとかってに想像してしまう。
この二人の役者にはゲイ特有(私感)のセクシーさが足りないんだなあ。二人がゲイじゃなくてもいいんじゃない? 男と女でもいいんじゃない?なぜ、ゲイに? 私の仕事場にもゲイはいるし、ごくふつうの存在(ごめんなさいこんないいかたしかできなくて。)として身近に感じるけど、90%はゲイだと私が思える人だ。この二人はそれから外れる。もちろん10%のゲイに中に入っているかもしれないが。
でも、一つロマンティックに思えたシーンがある。それは街角でウィン(レスリーチャン)が暴力にあって傷ついているところタバコが欲しいとファイにいって火ももらうシーンだが、ファイが持っているタバコの火をウィンが吸うことにより、自分の指先も吸われていく感覚がすごくいいね。
ウィンがもう一度やり直そういうが、二人の間はすでにそのチャンスは何度かあったはずだ。悪循環で失敗から学べない感情があるんだけど。お互いに好きあっているが、やはりこの二人は別れた方がいいと思う。一緒にいてこれだけ喧嘩をするし、信じあえないから。好きという感情だけにに溺れてしまってお互いを解りあっていない現実をみていない。
ファイがナイフを出してドアに突き刺すシーンがあるが、ウィンを引き止めるには、彼がもう一度、傷つけばファイの元にとどまると考えてる。独占欲の塊のファイはウィンを傷つけるかわり、ドアにナイフをさすのだ。このシーンからしても、悪循環にはまって精神的問題が出てきて、正常心をなくしていっている。これから抜け出てイグアスにより香港に戻ることはファイにとってよかった。ファイにとって心の傷は簡単に癒えないけどいつがどこかの時点で決断がいる時も人生にはあるとおもう。
ファイが一人でイグアスの滝にいるシーンがあるが、イグアスはアルゼンチン側からみても、ブラジル側から見てももうこのように滝のしぶきが浴びられるところはもうない。囲いの外から見なければならない。カメラどりが変わっていていいが専門的なことはまるっきり知らないから、なんとも言えない。カメラの動きはときどき目が回る。
最後のシーンでファイが台湾に立ち寄ってチャン(チャン チェン)の家族の経営している屋台で食事をしている時の顔は幸せに見えた。そして電車でのシーンは私が知っている笑顔のトニーレオンだ。家族に送られた絵葉書を一枚、自分のものにして、いつでもチャンとコンタクトできるよというシーンもファイの将来を明るくする。
二人でいる時が幸せという( Happy Together)意味が刹那にしか見出せない作品だった。
一人でも二人でなくてもHappyに見えた。この幸せな表情が彼の未来を明るくした。
最後に、LGBTQ+と言われる映画だが、アンドリューヘイのようにゲイの監督はゲイの作品を作るが、ゲイの俳優がゲイの役割をする映画をみる機会がない。私はジェンダーに対してのこだわりがないから、かなり広範囲にジェンダーを意識化させる映画を見ているがなぜ、ゲイの役にゲイの俳優を使わない?まだまだ差別の世界だな。
2人が再会するまでは白黒映像。それぞれの浮き沈みが感じられたため、この前半が一番好きな部分。アパートの赤っぽい映像は、レスリー・チャンのわがままぶりにキュンっとなりそうでやばかった。イグアスの滝はナイアガラよりも雄雄しくていいですね。
時間の流れが速いのか遅いのかさっぱりわからないのが難点かも・・・これがいいという人もいるのでしょうけど。
どれだけ想おうとどれだけ身体を重ねても信じ合えず傷付け合って、そんな事望んでないのに。テープレコーダーのくだりは胸が詰まる思いがした。世界の果てに置いてきた涙。
会いたいと思いさえすれば、いつでも何処に居ても会える。地球の裏側でも。
台湾大学に初めてのゲイサークルが1993年に、翌1994年にレズサークルが設立された。この映画が製作された1997年は中国本土で初めて同性愛が非犯罪化された年だ。台湾ではまだまだ同性愛への風当たりは強かったらしい。映画の主要な舞台となる地球の裏側にあたるアルゼンチンでは、1886年に既に非犯罪化されており、映画の中でも男娼が多い様子が描写されている。
同性同士であっても異性間の恋愛と変わらない。描写されるのは、小悪魔のように魅力的なクズ男。悪事をして祖国から逃げるように遠い異国に来たが人寂しく、クズ男と別れたりヨリを戻したりの辛い思いをする主人公。自由に旅を楽しむ若い友人の登場で主人公はようやく1人で祖国に戻る。過去を精算するのだ。かすかに明るいエンディングでよかった。
ターコイズブルー、エメラルドグリーン、バーミリオンレッド、マンダリンオレンジ等のアジアンカラーが浮き立つノスタルジックな映像とBGMはタンゴ。回想部分はモノクロ。
主演二人はこの映画に出るのはとても勇気が要っただろう。カーアイ監督の脚本なしで現場でメモを見せて即興で撮るやり方は、特にこの内容では、彼らの力量なしでは成立しなかったと思う。熱演に拍手を送りたい。