私が棄てた女

7.4/10
合計17件のレビュー
ジャンル   プロット
ランタイム   116分
言語   日本語
地区   日本
劇場で   09月03日 1969
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私が棄てた女 プロット

遠藤周作の原作「私が棄てた女」を、「若者たち」の山内久が脚色、「非行少女」以来五年ぶりに浦山桐郎が監督した。撮影は「男の掟」の安藤庄平。

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私が棄てた女コメント(1)

Hnsisogkpmx
Hnsisogkpmx
見応えがありました
疑いようもない名作です

河原崎長一郎が演じる最低のカス男
浅丘ルリ子の60年代とは思えない現代的な美貌と肢体
そして何より小林トシ江が演じる本当のヒロインの熱演は、心を打つ見事な名演で強烈な印象を残します

そうです
本作のヒロインは浅丘ルリ子ではなく、決して美しくもない小林トシ江なのです

本作は白黒映画ですが、途中主人公がヒロインと出会った頃のシーンを緑色に着色された映像で見せます
また、中盤のヒロインの回想としての相馬の流鏑馬のシーンと終盤の主人公の妄想とエピローグだけがカラーで撮られています
実験的な演出手法ですが、効果的で成功していると思います

森田ミツは劇中で三度棄てられたのねと言われますが、終盤に行きずりの女だと言われて更に棄てられたのです

本当に棄てられたのは誰でしょうか?
もちろん森田ミツです
しかし、映像で語られる通り、彼女は60年安保闘争で敗北した理想の日本の未来だったのは明らかです
そこに本作の真のテーマがあります

60年安保に敗北して、学生達はフレキシビリティを発揮して高度成長を始めた日本経済の中で資本主義の中で成功しようとしています
彼らは森田ミツという理想を棄てたのです

そして彼女が身を持ち崩し五反田の風俗に身を落としていくのを見ても、なお見棄てるのです
日米安保体制に組み込まれていっているではないかといいたいのでしょう

そして更に手切れ金を渡そうとし、また棄てたのてます
これも70年安保に最早関わりたくないという60年安保闘争世代の姿勢を暗に批判しているでしょう

4度目は警察から取調べをうけて、行きずりと言ったのは、60年安保闘争での左翼活動は単なる行きがかりだけのことだと答えて活動を裏切ったと批判しているわけです

本作は1969年の製作です
つまり70年安保に向けての60年安保世代からの懺悔と自己批判であり、同時に70年安保闘争世代に俺達と同じようになるな、森田ミツを捨てるなとエールを送っているのです
田舎から出てきた母と弟と上野動物園で合います
70年安保世代たる弟が立つ脇には立て看板があります
こう書いてあります
考えよう!すてて良い場所、悪い場所
つまり70年安保闘争を見棄てるなと言っているのです

ラストシーンの代官山ハイツで主人公は婆さんの息子と将棋を指しています
二級ボイラーマン合格のことでこんな台詞が飛び出します
地下に潜って考えるか
もちろん、60年安保世代への呼び掛けです

60年安保闘争当時のデモ隊と機動隊との衝突の回想シーン、終盤の機動隊を思わせる黒ずくめの死神の集団
騒乱で荒廃した街並み、殺された人々
殺された死体から刃物を抜き戦車のようなものに立ち向かう主人公

浅丘ルリ子は70年安保闘争での実現したい理想の象徴でしょう
彼女は森田ミツのことを主人公に痛烈に批判しますが、結局彼を許しています
国民は理解している
きっとわかってくれるとの期待です
その上でラストシーンで彼女はこうひとりごちます
ミッチャン、私はもっと貴方を知るべきだったのだ
今ワタシは貴方を殺した者をハッキリと見つけて、その者と戦って行かなければならない
愛するものを一生愛し続けながら

能面は自己批判のシンボルです
ラストシーン、浅丘ルリ子の顔が能面を思わせ、夕陽に赤く染まる演出
日本はその自己批判を受け入れた、より良い明日が待っている
それを夕陽の水平線を走る二匹の白馬に託しているのでしょう
二匹とは主人公夫婦ではなく60年安保世代と70年安保世代のことだと思います

これが当時の文化人と呼ばれる人達の空気
吸いたいと激しく求めているものだったのだとおもいます

しかし酸素は少なく彼らは呼吸困難に陥るのです
そして昏睡してダメージを受けたのか
未だにその当時のままの精神状態で21世紀を迎えてしまったのだとおもいます

それゆえに未だに森田ミツの手紙と写真を大事に隠し持って忘れられないのだろうと思うのです

そんなことに21世紀の若者を巻き込まないで欲しいものです

森田ミツは田舎での無教養で美しくもなく、主人公からすれば性欲を満たす対象としか扱われません
そこには無知蒙昧な大衆を指導するのだという、彼らの自分勝手な思い上がった、国民を蔑視している視線を感じます

森田ミツが不幸のどん底に堕ちてしまったのは自分が棄てたからだ、自分がすてなければこうはならなかったのだ
そのような自己弁護であり、むしろ詭弁ですらあると思います

とはいえ、映画としては素晴らしい作品です
名作で間違いないと思います