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マティアス&マキシムコメント(4)
室内で繰り広げられる会話多めのシーンが多く、舞台演劇のような緊張感が印象的でした。恋愛がテーマとはいえ、甘めではないところも素敵です。
忌まわしい "COVID-19" の影響下、各映画会社は、映画作品を公開をするのか、それともソフトやVODにスルーするのか模索している最中、配給会社の違いはあっても約半年間のスパーンでグザビエ・ドラン監督のイキなファンを喜ばす、良い感じの時間をおいて本作は公開される運びとなっている。
前作「THE DEATH AND LIFE OF JOHN F. DONOVAN」では、アカデミー女優を揃える豪華さの裏に落とし穴があったように演技べたで、リアリティーのカケラもないナタリー・ポートマンに足を引っ張られるかたちで、自ずとファン以外の方たちから指摘されるように、批評家も含め無惨な結果に終わっているのが事実として...
2009年製作の映画「マイ・マザー」の回帰的意味も含めて... グザビエ・ドラン監督が国際的に"ブレークスルー"を果たした記念すべき一作から、その持ち前の若々しい映像や人の姿を具現化し、衝動的で、心のこもった、ある時は、奇妙にも見える独特な映画作りを彼はこの映画においても忘れないでいる。また彼は、ソープオペラなんて製作しないと語っていたことも思い出される... ドラン監督はエレファント・マンの監督デビット・リンチが映画にとってサウンドエフェクトがいかに重要であるかを説いていることを踏襲するように呼応するように彼は、「フィルム・スコアは、人の感情に愛した人たちの思い出を喚起させる力がある」とその時、その時、瞬間を大切にするように語っていた。
果たして今作はどうか?
ケベックの柔らかく雄大な緑に囲まれた自然を背景に、幼い時から友人として育ち、その若き二人の男性に起こるジェンダーを超えた葛藤と呼べる心が微妙に揺れ動くさまをリアルタイムで描いている。その一人、脆弱さを強調している恥ずかしがり屋のバーテンダー、マックスと、もう一人、不満足な異性愛関係を心にしまい、野心的な面も持っている弁護士であり、スーツ族であるマット。
そんな中、映画では、彼らの関係が、始め性的な雰囲気を認めないような演出を監督は、恣意的に取り入れている... パーティの為に二人揃って友人宅に留まった時、マットがトイレで用を足しているのにもかかわらず、マックスはちょうど彼のとなりで、歯磨きをするという性的にも恋愛的にもいずれも存在しない、形容できない、否定的演出.. "印象的でありながら自然主義的であり表現主義的" と言われる彼の持ち味で描いている。そしてその事が、後の "突然" を思わせるシーンへの伏線となっている。
自意識過剰なシンボル "birthmark" として "port-wine stain" : 右目の目じりから涙のように、あたかも流れているようなイメージの母斑を持つマックスに対して、マットが “ink stain” なんて心にもない事をいうセリフの中にこの映画のシンボルでありスピリットとなるマットの精神的ステイタスが感じられ、マックスに対して抱いている刹那的な未来の見えない感情や生き方にのめり込みたくてもそれが出来ない彼の複雑な胸中を読み取ることのできるシーンとなっている。
撮影は、ドラン監督自身が育ったカナダのモントリオール近郊のサウスショア地区最大の都市、ロングイユ(フラ語読み)とその周辺で47日間かけられて撮影され、撮影監督のアンドレ・ターピンが、「柔らかいパステルカラー、白い照明、低コントラストで制作された非常に感動的な映画は素晴らしい始まりであり、このような自然主義的な方向に視覚的に撮影できたことがとても喜ばしく思えてしまう」と語っていた。それもこれもコダック社の35mm、65mm、スーパー8mmを場面場面でプロットに対して使い分けたと伝え聞く。(コダック社の映画サイトより)
ただし皮肉屋なものとしては、監督が音楽に対して"音楽は、人の感情に愛した人たち・・・" と言っているわりには、個人的にはフィルム・スコアと映像のバランスがあまりうまく言ってない、強いて言うなら、強調し過ぎていると感じるし、前作にあたる「ジョン・F・ドノヴァン・・・」と同じようにLGBTをテーマにする潔さや身近に感じさせる作品作りには、エールを送りたくもなるが、しかしながら、その作風は、個人的には相いれないもので、LGBT自体を負のような、ココロの根底に眠る恥ずかしさや偏見の対象となる異物のような扱いで、あたかも差別心や羞恥心を助長させる行為として違和感を感じてしまう。しかも、 "port-wine stain" の演出は、やり過ぎではないのか? 設定に組み込みたくなるのも分かる気もするけど、この監督の映画に対して、より過美な演出が真摯さに欠ける部分と言ってもいいかもしれない。 それは始まりの "突然" のシーンでも同じようなことが... 人が持つ印象は、人それぞれ
ハリウッド進出を図ったであろう前作では色々思うところもあったが、、、今作では初期作品のような繊細さとセリフに頼りすぎない演出に魅せられ、とにかく切なかった。加えてドラン作品で初めて描かれるであろう青春(爽やか!)とど直球なロマンス(胸キュン!)。
『君の名前で僕を呼んで』に強く影響うけているらしいが、なるほど。あちらがギリシャ彫刻ならば、マティアス&マキシムは等身大なリアルな恋物語といったところか。
『マミー』も『わたしはロランス』も上回りドラン作品で一番好き。最高。
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「自分自身を探って見つけようとするのが20代前半ならば、20代後半になれば自分自身のことをもっと理解できているはず。
強く同性に惹かれたときどうするか…
ということを ───」
20代後半になってからできた本当の仲間たちと作りあげた本作
そこにどんな意味が込められているのか…
ドランの言葉から探ってみてください。
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素直な自分を描きたかったというドラン
30才だからこそ描いた
人生の一時
ドランがマキシムを演じています
濃い友情と愛情の狭間で揺れ動く感情
彼らの表情からは切なさが感じられます
それぞれの視線から愛情が感じられます