激動の昭和史 沖縄決戦
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08月14日 1971 劇場で
沖縄海洋博
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09月18日 1976 劇場で
沖縄狂想曲
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02月03日 劇場で
沖縄久高島のイザイホー
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07月30日 2022 劇場で
沖縄 うりずんの雨
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06月20日 2015 劇場で
ハワイ・マレー沖海戦
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12月08日 1942 劇場で
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沖縄スパイ戦史コメント(17)
隊長が戦後送り続けたソメイヨシノは根づかず、少年兵が植えたヒカンザクラは花をつけた。なんか、象徴的なものに見えた。
自分も人も人間の尊厳を壊された暴力として向きあうのか?
その暴力の根源はどこからきたのか?
戦争は何を守り、何を守らなかったのか?
軍隊は暴力を使える。恐れからはじまる暴力で何が守れるのだろう?
隣人同士が敵味方になるような地獄を垣間見た気分だった。映画に出て語っている人たちが70年かかってこの地獄を乗り越えて、または包み込んで生きてきた道のりの尊さを思った。
ほんの少し前の沖縄の人々の苛烈な体験、幼き少年ゲリラ兵達の姿を観て、涙した。
陸軍中野学校の若き二人の将校に率いられた齢15歳前後の子供たちが”少年ゲリラ兵”として経験した苛烈過ぎる数々の出来事。目を背けたくなるような、彼らの”姿”
そして、一人の将校が、戦後が激しい罵声を浴びせられながらも亡くなる直前まで、彼らの墓参を続けた事実も見る側に伝えられる。
何より恐ろしいのは、当時沖縄八重山列島の多くの人々をマラリアに罹患させる無茶な指示をした人物の電話インタビューである。(人物の固有名詞が出る。)
彼の人物は明るい声で”仕方なかったのですよ・・”と現在、内地で宣うのである。
沖縄戦体験者の方の「基地のあるところから戦争はやってくる」という言葉の重さが、現政権の中枢にいる方々に少しでも届く事を強く強く望む。
現在の為政者は言う・・。
-沖縄のために、基地は必要です・・。-
<2018年8月13日 毎年夏になると強烈な反戦映画を掛けてくれる、反権力の気風高い都市のミニシアター、京都シネマにて鑑賞>
人の命がこんなにも軽くていいはずがない。