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コレヒドール戦記 プロット アメリカ 10月22日 1954 劇場で
ビーチレッド戦記 プロット アメリカ 11月18日 1967 劇場で
戦場記者 プロット 日本 12月16日 2022 劇場で
ブレイブ 群青戦記 プロット 日本 03月12日 2021 劇場で
セイバー+ゼンカイジャー スーパーヒーロー戦記 プロット 日本 07月22日 2021 劇場で
記憶の戦争 プロット 韓国 11月06日 2021 劇場で
ゲド戦記コメント(20)
by 養老孟司
NHKで観たこのフレーズが頭をよぎった。
特にハイタカの次の台詞。胸を衝いた。
「わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ。苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもある。わしらの命も。」
古くなる、老いるということに抗ってばかりで自分は真に人生を生きていたのだろうか?味わってきたのだろうか?最近よく自問する。そんな自分に、そしてコロナが蔓延するこの時期的にもピッタリの再上映演目だった。
また、草原を走る風が肌に触れたときの生暖かさ、耕す畑の土の匂い、異国の街のむんとした熱気など、外出自粛中ではあったが旅に出た気分にさせてくれた。画力に感謝したい。
酷評もあるようだが「子供ではないので分かりやすさは要らない」「原作は知らない」「細かい疑問にこだわらない」という私のような者からすれば傑作である。
「一生に一度は、映画館でジブリを」
第2作目行ってきました!
多分、ジブリ史上最も酷評されてるのではないか、この作品。私は好きだけど!
もしかして、アレン最初から最後まで何もやってない?
この作品はなんと言うか、世界の闇を描いてる気がする。
死ぬことが怖いのじゃなくて生きる事を恐れてる。その通りだ。生は死に通じてる。
挿入歌も好き。歌声綺麗。
テルーの龍もめちゃくちゃかっこいい。
まぁ、辻褄合わない作品が合わない人には合わないだろうなって作品です。
※個人の価値観で書かれてます、ご了承ください。
終焉に向かう世界を舞台に、破滅の原因を探る大賢人ハイタカと、心に闇を抱える王子アレンの冒険を描くファンタジーアニメ。
主人公アレンの声を担当するのはV6の岡田准一。
悪の魔法使いクモの手下、ウサギの声を演じるのは香川照之。
原案は宮崎駿の絵物語『シュナの旅』である。
2020年、スタジオジブリの作品が4つリバイバル上映された。
その4つとは『千と千尋』『もののけ姫』『ナウシカ』そして本作『ゲド戦記』である。
『ゲド戦記』…?何故このラインナップの中に『ゲド戦記』…!?
数あるジブリ作品の中でもダントツで評価の低い『ゲド戦記』をレジェンドの中に打ち込むとは、これはもはや宮崎吾朗監督に対するいじめではないだろうか?いじめかっこ悪い!!
…まぁ実際には今冬放送予定の宮崎吾朗監督作品『アーヤと魔女』の宣伝を兼ねているのだろうけど、この作品を上映するのは逆効果だと思いますよ、まじな話。
4作品を制覇してみましたが、やはり『ゲド戦記』の人気のなさはヤバい!
一番遅い時間の上映だったとはいえ、日曜日に観にいってガチのマジで貸し切り状態!
自分以外誰一人シアターにいないという状態は初体験だったかも。
どんだけ人気ないんだ『ゲド戦記』!!
10数年ぶりに見返してみましたが、やはりこれはアカン…
平凡な絵。平凡なお話。平凡な音楽。どこをとっても平凡。素人が教科書通りに作りました、って感じ。
平凡なお話なのに説明不足なため、意味不明な物語に仕上がっている。
そして物語は説明不足なのに、登場人物はみな説明口調。アニメはRPGじゃないんですよ!?
主人公はネクラな殺人鬼アレン。終始暗すぎる。碇シンジくんの100倍暗い。
メンターである大賢人ハイタカ。ぶらぶらしながらたまに農業する。体が光る。パチモンブランドを見抜くという特技がある。そして無能である。
悪の魔法使いクモ。顔が怖い。部下が10人くらいしかいない。一般人にも住所が知られている。舐めプ野郎。
ヒロインのテルー。正体は龍。意味不明。
キャラクターには一切の魅力がない。躍動感もないし、派手なアクションもない。
宗教団体が作ったアニメみたいな説教くささを感じる。
原画には宮崎駿作品にも名を連ねる様な大物が参加しているのに、ここまで絵的にダメなのが不思議。やっぱり監督でアニメって決まるんだなぁー、と勉強になった。
冒頭の龍が共食いしているところが唯一良かったところかも。
アレンを追うカゲが実は光だったと判明するところとか、命は有限だから素晴らしいのだとテルーがアレンに説くところとか、なかなか感心するシーンもあるのだが、演出が悪すぎるせいで今ひとつ感動できない。
作品に込められたメッセージはなかなか良いものだっただけに残念。
まぁでも、宮崎吾朗という監督も気の毒ですよね。どう頑張っても天才宮崎駿と比べられるんだから。
まず1人のスタッフとしてアニメ制作に関わらせておいて、経験を積んでから監督させてあげれば、本人的にも気が楽だったんじゃないのかな〜、とか要らん心配をしてしまいます。
宮崎吾朗を監督に据えるという出来事から鈴木敏夫という人物がいかに悪党かというのが分かりますね。
背景の絵は美しい。音楽も美しい。歌も綺麗。
そりゃさすがにジブリスタッフですから。最高のスタッフの技術を結集できますからね。
しかし、最も肝心な、脚本や絵コンテが。
だって宮崎駿監督ではなく、宮﨑吾朗監督ですから。
比べるのは酷かもしれませんが、息子は天才ではなかったのですから。
(背景は綺麗でも、アニメーションとして絵の動きに、魅力が全然ありません。
何よりも、話が…)
公開当時の映画館、TV金ロードで2回、今回コロナ期「一生に一度はジブリを」で
4回目の鑑賞。何度見ても、やはりこれは失敗作だと感じます。
何よりも、原作者を激怒させた点が、まぎれもない失敗の証です。
もともと駿氏の生涯の愛読書である小説、
数多くの監督からの映画化オファーを全て、原作者は断り続けていた(若かりし頃の駿氏も断られたことがある)が、名実共に宮崎駿の実力が海外にも知られ始めた頃
「もし私の作品を映像化できる人がいるとすれば、それはハヤオ・ミヤザキだけ」
と言ったことがもとで、ジブリが映画化することになったそう。
しかし、吾朗氏監督にしてしまった事が 失敗でしたね…
これまでに原作ありの映画化では、
駿氏の「魔女の宅急便」も「ハウル」も、原作と違う点があっても、そのイマジネーションの素晴らしさに原作者も絶賛しました。
高畑氏の「おもひで」も。「火垂る」は原作に無い場面をたくさん入れたことで よりリアルな感動が深まりました。「耳をすませば」は、不人気すぎて連載打ち切りになった漫画を、その年の第1位のヒット映画にして、原作者は泣いて喜んだほど(作者コメントで見た記憶があります)。
「ゲド」は、原作に無い場面で
まず 主人公が 国王である父親を殺す。しかも、最後まで本人は「何故あんなことをしてしまったのかわからない」そんな重要過ぎることを、最後の最後まで!
これは鈴木敏夫氏が「父親を殺せ」と吾朗氏をそそのかしたのだそう。しかも試写会で「その場面で駿氏が立ち上がって出て行ったのを見て、やったー!と思った」と述べています。
なんて醜い。 原作へのリスペクトなど無く、話題作りに燃える商魂しか感じられません。
その一方で駿氏は、(インタビューで読みましたが)「千ちひ」の裏設定の1つで、油婆(鈴木氏)が坊(吾朗氏など若手)を溺愛し、血だらけのハク(駿氏)を「さっさと片付けな、もう使い物にならないよ」と捨てる場面を描き…どれだけ苦しかったでしょう。 「ポニョ」も、幼少時に一緒にすごせなかった息子への申し訳ない想いをこめて、宗介=吾朗として描いてるのだそうです。切ない…
吾朗氏の「ゲド」は、長い原作をどう2時間以内にまとめるか…と苦心するのではなく、
原作の雰囲気やエッセンスだけ頂いて、ありきたりのファンタジーアニメにしてしまいました。
(悪役は永遠の命を欲する、朝日で消える…とか凡庸すぎ。未読ですが、そんな単純な原作じゃないのでは。命は大切、とか名言的なセリフは、ただセリフとして言うだけで、アニメーションとして絵が動く力で描けていないので、いまひとつ感動に届かず、説教くさくも聞こえてしまいます。
真の名、正体は竜、など 作者の深い考えの込められていそうな点は、意味不明なまま未消化で、ただ「知りたい人は原作読んで」という丸投げなスタンスなようです。 駿氏の作品の場合、説明不足で意味不明な点は、たくさんの人が知的好奇心を刺激されて深読みし、想像を広げられる楽しみがあるのになあ。)
原作の壮大なファンタジー設定をちょっと借りてきた中で、優秀で立派な父親と比べられる自分のプレッシャー、寂しさ、吾朗氏の感情を描きたかっただけにしか感じられません。
原作者に失礼だと思います。そしてジブリにも。
もし、これがスタジオジブリとしてではなく、吾朗氏が自分で作ったスタジオで、自力で作った映画なら、星5の評価をあげても良いと思います。それなりのレベルのアニメとしては見れます。美しい部分はいくつかあります。テルーの唄声は好きです。(セリフは下手ですが)
しかし、全て七光りの世界で、話題作りに燃えるプロデューサーにそそのかされて父親殺し? 全く評価できません。嫌悪感しか無いです。
吾朗氏だけでなく鈴木氏に重大な責任があります。
ジブリ作品とは別枠の作品として扱うべきです。