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韓国
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男はつらいよ お帰り 寅さんコメント(20)
#男はつらいよお帰り寅さん 鑑賞
FBS試写会 @T・ジョイ博多
山田監督らしく現代の日本が舞台であって単なる懐古趣味ではない。それでいて男はつらいよ的な演出をしっかりしていて往年のファンも楽しめる
ただ、オープニングの歌は桑田さんではなく #渥美清 さんにしてほしかった!!
懐かしの回想だけでの構成ではなく、しっかりと新ストーリーとして物語が進み、とても嬉しく思う。
満男と泉のシリーズ通して積み重ねてた関係が脳裏に甦り、最後の空港シーンが涙を誘う。
2人の物語がまた動き始め、続編も期待できる展開がよい。
中年となった2人の恋をほろ苦く描く。この切なく甘酸っぱい恋路を88歳で演出する山田洋次。まだまだバリバリの現役だ。51作目も期待したい。
いつまでも元気で長生きしてください。
寅さんのことは何も知らないけど人情に溢れて素敵な人でした。今の時代にはいない人だと思います。
映画を見た後渥美清さんのこと調べたりしていたら、
この時代に生きていてほしいしテレビに出ていて欲しかったなと思います。
この映画を見て寅さんはまだまだ生きている気がしました。渥美清さんはこの時代にこの作品がまた注目されるとは思ってなかったんだろうな。でもこの時代に必要な人だから渥美清さんはこの作品を天国からまた送ってきたのかなと思いました。
吉岡秀隆の『なんだ、夢か』っていうベタベタの台詞からタイトルにいったところで震えたの。寅さんって、こういうベタさをうまく見せるよね。
吉岡秀隆は「こいつヘタレなことばっかり言ってんな」ってキャラなんだけど、寅さんの血をひいてる感じでいい。
それで後藤久美子に会うんだけど、ゴクミの芝居ひどいな。ヨーロッパに行ったエリート設定だから「日本語たどたどしいのしょうがないね」って感じで逃げられてるけど。
『あのとき伯父さんは』って回想で寅さんの名シーンが入ってくるんだけど、ここは全部面白いの。
博がさくらに告白するシーンがいい。カメラアングルもいい。でも「三年間、あなたを見てました」ってのは今だと「ストーカー?」「キモ!」で終わりそう。生の強い感情をぶつけるのを、今は避けるし。しかし、さくらは走る。いいよね。
夏木マリの出演シーンも良くて「いま、こういう湿っぽい演技する女優さんがいなくなったな」と思ったんだけど、これ、そういう脚本がなくなってんだよね。寅さんは看板映画だから出演決まった女優さんは嬉しかったろうけど、こういう演技力を試されるような脚本やるのも嬉しかったろうな。
あとやっぱり寅さんシリーズのマドンナといえば浅丘ルリ子。さくらが語るプロポーズを受けるところはめちゃいい。それをあっさり流す脚本もめちゃいい。
回想の各シーンは台詞展開がすごくて「山田洋次すげえ!」と思った。あれを書けるのは尋常じゃない。
本編ストーリーは、まあ、なんだかどうでもいいやって感じで終わったけど、回想が楽しいからいいかな。
満男の来歴をうまく寅さんが絡むように組み立てた話には腐心が感じられた。気兼ねせず結婚しろと諭される満男に、東京物語の紀子が重なる気がした。
泉ちゃんは棒読みに棒演技、むしろ昔のほうが上手だったが、ひとりだけ小津をやっている感じは悪くなかった。
浅丘ルリ子が山田監督に「これ以上明るくしたらやらないわよ」と言っているのが聞こえてきそうな暗がりのバーだった。さくらも博もまだしゃんとしていたが、くるまやの上り框に介助手すりがついていた。みんな元気でいてくれと思った。
満男の「もしこんなときおじさんがいてくれたら」が素直に伝わってきて、マドンナたちのフラッシュになって──現況も名前も知れない女優たちに涙が出た。
偏屈なわたしでも労いのありがとうが出てくる仕上がりだった。
この労作にケチがついたので以下一応書いておきたい。
折しも「世界的に有名な」グラフィックデザイナーの苦言がゴシップとなっている。
しかし過去作の場面を引用し寅さんを復活させる──ってのはアイデアと呼べるようなものなんだろうか。
ターキンのピーターカッシングではあるいまいし、ルーカススタジオを持ってくるならいざ知らず、過去場面を編集して挿入するほかに渥美清の動画はありえない。グラフィックデザイナーの有り難い言葉を拝聴せずとも、ほぼ誰でもそこへ帰着することである。
ゆえに、それを「俺のアイデアだ」と言ってしまうとき、人の写真を貼っつけて背景をいじって、はいグラフィックでございます。一億円です。──というウォーホールみたいな方法論と、それが怪もなく通用するばかりか、ゲージツ家として崇められるグラフィックデザイナーという職業の形骸性を露呈させてしまうのである。
よしんばそれがアイデアだとしても、盗用とは穏やかではない。蕎麦屋で話したことなら、よけい穏やかではない。まして、ホントに世界的に有名なアーチストであるなら、とうてい世界的に有名なアーチストのする行いではない。この御大の歯ぎしりは、晩節を汚しているばかりか、お里を知らしめている──以外のなにものでもない。
この瑣末時に、もし好意的な見方があるとすれば、このひとは、時代の寵児の晩年がどんだけ寂しいかという「グラフィックデザイン」を自身を使って表現しているのだ──ということになる。きっと山田監督や寅さんやくるまやの人たちが羨ましくてならないのだろう。