15年の空白を経て、障害を持った息子と初めて対面した父親の葛藤を描くヒューマン・ドラマ。監督・脚本は「いつか来た道」のジャンニ・アメリオ。共同脚本は「輝ける青春」のサンドロ・ペトラリアとステファノ・ルッリ。撮影は「いつか来た道」のルカ・ビガッツィ。音楽も「いつか来た道」のフランコ・ピエルサンティ。出演は「ピノッキオ」のキム・ロッシ・スチュアート、「スイミング・プール」のシャーロット・ランプリング、これが映画デビューとなるアンドレア・ロッシ、「炎の戦線エル・アラメイン」のピエルフランチェスコ・ファヴィーノ。2004年ヴェネチア国際映画祭3部門(パジネッティ賞ほか)など受賞。
家の鍵コメント(5)
突然「貴方の子供なので後は宜しく」
もしもこんな事態が生じたら果たして平静を保っていられるのだろうか?この映画の主人公の立場になって感情移入している自分が居た。
先ずはあの子役の存在感が凄いですね。おそらく作品の価値の半分位はこの子に掛かっていると言って過言では無いでしょう。
ただし内容はひたすら淡々と進んで行く為にかなり平板な印象は否めません。そこをどう受け止めるかでしょう。
主人公にアドバイスを贈るのが‘先輩’にあたるシャーロット・ランプリング。
「一緒に暮らして行くなら覚悟が必要」
「他の子が遊んでいるのを見て妬んだ事を恥じてはいない」
そして…
この後に彼女から発せられる言葉の重みが深く心に残ります。
決して楽しい作品ではないですが考えさせられる作品でした。
(2006年4月28日岩波ホール)
ストーリー: 60
キャスト: 75
演出: 65
ビジュアル: 70
音楽: 75
はっきりとした状況の説明がないために、当初は何がどうなっているのかわからない。誰が誰であり今どうなっていてこれからどうするのか。それがわからないままに日常がひたすら淡々と描写され続けるために、かなり退屈に感じてしまった。画面に何が起きているかを見る前に、彼らはどういう関係で何をやっているのだろうかという疑問を解決することに意識がいってしまう。物語が進むにつれて背景の事情もほのめかされてくるし、父子関係も進展してくるし、特に父親の感情の変化や悲しみや愛情が理解できるようになる。この映画の良い部分は理解できるが、でもそれ以前に自分の意識が物語に入り込むことが出来ずにいた。 出演者の演技は良かったと思うが、全体に演出も地味で冗長に話が進んでいくのものめり込めなかった理由の一つ。
ジャンニの息子パオロよりも思い障害を持っている女の子の母親シャーロット・ランプリングでしたが、「自分の息子ではない」と嘘をつくジャンニを見透かしたように鋭く助言を与えていました。初めて会ったときから、障害児を抱える親の辛さを訴えるのではなく、本音をさりげなく言うところにドキリとしてしまいました。特に「死んでしまったほうが・・・」などと言うところは、最近よくある介護疲れによる殺人事件をも思い起こさせるのです。
父親ジャンニ(キム・ロッシ・スチュアート)は今では妻子もあるが、15年前に恋人の死のショックから障害を持ったパオロを手離してしまっていた。その罪悪感もあってパオロを育て上げる決意をするのですが、「自分を父親と認めてくれるのか」という心配がつきまとい、彼への接し方にも苦労が絶えません。リハビリ病院の行事中にパオロがいなくなるという、ちょっとした事件の際、うろたえぶりや最悪のことさえ考えていた様子などは演技がリアルすぎて怖いくらいでした。また、甘やかしたり、気を引こうとしたり、リハビリ中に思わず抱きしめたりと、ぎこちなさいっぱい。パオロの中でいつ父親と認めてくれるのかとハラハラしてしまいました。
突如、パオロの文通相手の女の子にノルウェーまで会いに行こうと思い立ったジャンニ。ここからのロードムービー風演出によって父と息子が真に向き合うのですが、心と心の隔たりが一気に氷解するかのような一瞬がたまらなく良かった。やっぱり子どもにとって一番の関心事は親なんですよね。
パオロを演じたアンドレア・ロッシは自然な演技で本当に障害児だと感じたくらい。そして、イギリス人のランプリングはここではドイツ語とイタリア語を喋るのですが、いったい彼女は何ヶ国語喋ることができるんでしょうか・・・すげぇ。
障碍者の息子と15年振りに再会し、ベルリンのリハビリ検診の共同生活を通して、父として人として成長し変化する男を見詰めた地味な社会派作品。”現実に向き合う”視点の偽りない制作姿勢は、イタリア映画のひとつの特長である親子の絆をネオレアリズモの手法で描く伝統の、今日的帰結である。ドラマとしては、ベルリンの病院で知り合うシャーロット・ランプリングの存在でストーリーに膨らみを得ている。主人公に障碍者の親の手本の様に思われて気付く、彼女の辿り着いたところに本当のことがあるに違いない。恋人を出産時に亡くした主人公の”愛情の行方”が再び息子に向けられ、淡い期待感と幸福に包まれたかに見えたラスト、自動車運転の邪魔をする息子にキレて現実に戻される。そこで流す涙の意味は何なのか。自己反省だけの涙ではないのかもしれない。ここをフェリーニの「道」のオマージュと見たが、それは失って初めて気づく涙であり、この若い父の涙は、これからのことに対する覚悟のなみだであろう。本当のことは本人にも解らないのかもしれない。
ノルウェーの美しい自然を背景に父と子の旅を描く結末は、男の複雑な涙で締めくくる。心に沁みるイタリア映画らしい作品でした。
多くを語らない設定に、最初は戸惑ったが、見ていくうちに、細かい疑問は解けていく。シャーロット・ランプリングの存在感がさらにセリフに重みを与えて胸に突き刺さる。子育てには覚悟が必要。