1945年夏、敗戦によってソ連と満州の国境付近に置き去りにされた15歳の中学生たちの苦難をつづった田原和夫の同名手記を映画化。東日本大震災から1年後の福島。仮設住宅で暮らす15歳の敬介は、放送部の作品づくりができないことを仲間たちと残念がっていた。そんな彼らのもとに突然、聞いたこともない中国北部の小さな村から取材をしてほしいとの依頼が舞い込む。期待と不安を胸に中国へと向かった彼らは、村の長老・金成義から、67年前のある出来事を聞かされる。それは、敗戦直前に勤労動員としてソ連との国境付近に送られたまま現地に取り残された少年たちの過酷な体験だった。「永遠の0」の田中泯、本作が遺作となった夏八木勲ら名優たちに加え、「呪怨
終わりの始まり」の金澤美穂、「東京家族」の柴田龍一郎、「渇き。」の清水尋也ら注目の若手俳優も多数出演。監督・脚本は「ゴーヤーちゃんぷるー」の松島哲也。
ソ満国境 15歳の夏コメント(3)
私が見た、おすすめしたい難民映画「ソ満国境 15歳の夏」
実話に基づく映画です。
太平洋戦争が終わる直前、ソ連と満州の国境地帯で勤労奉仕していた15歳の少年たちがいました。総勢130名。
昭和20年8月9日にソ連軍が突然侵攻してきましたが、少年たちは助けもなく孤立し、約200キロの距離を10日かけて歩いて逃げます。そこから先もソ連の捕虜にされたりして、実家の長春へようやくたどりついたのが10月20日、4人の少年が帰ることができず、また帰還後に衰弱して亡くなった少年もいました。
衰弱の原因は約50日間の捕虜生活と、それと水だったようです。ボウフラがわいた水をのみほし、それでご飯を炊くしかなかったような過酷な状況でした。原作者の田原和夫氏は、こう書いています。
「いつのころからか私は、コップで水を飲むときはコップを目の前に一瞬捧げるようにしてから飲み干すようになった。そして飲み干す瞬間には必ずこのときのたまり水の情景が胸に浮かぶ。のどが渇いたときの一杯の水はほんとうにおいしい。だが私にとっては、それは水の恩を尊び、水に感謝する祈りのときでもある。」
田原「ソ満国境 15歳の夏」p78-79
130名の少年たちは事態の全貌を知らされることなく、ただ逃げまどうしかなかった。田原氏の著書は、執念の資料調べで、15歳の時に知ることができなかった真実の空白を埋めていきます。戦争指導者たちの無責任さを暴き立てます。
田原氏が著書の中で、見捨てられた少年たちのルサンチマンを正直に出しているところが良いと思いました。私憤を公憤にすりかえるのは潔い態度とは思えません。指導者の責任は追及しつづけるべきです。許せないものは許さなくていい。人には「どうしても忘れられないこと」と言うものがあるのですから。
「戦争に負け」、「孤立していて」、しかも「子どもだった」。この三重のハンディの中で難民になるとはどういうことか、とても良く分かる映画、そして原作本です。
「ソ満国境 15歳の夏」2015年、松島哲也監督、日本
兵士の話ではないし、終戦間際から終戦後の話しなので派手な戦闘シーンや大きな盛上がりはなく小中学校の道徳の時間に流す教材映画の様な印象で目新しさはないが誰でも見易い印象。
戦争の一片を通して人間の情や生きる意味、平和を考えましょうという映画。
はっきり言って中学生たちの演技は下手です、まだ少年兵の方が上手かったです。話も良かったのですが、ラストで真実が明かされます。疑問なのが夏八木さんたちは田中民さんといつ再会したんですか?あと中学生たちはなぜ少年兵(大人になった夏八木さんたち)だった彼らが除せん作業をしていたのがわかったのか?あと田中民さんの少年時代の彼が朝鮮人だといきなりカミングアウト、もしそうしたいなら色んな所で葛藤とかを出さないと取って付けたように思える。まあそんな感じでした。