犯罪都市 NO WAY OUT
プロット
韓国
02月23日 劇場で
戦雲(いくさふむ)
プロット
日本
03月16日 劇場で
変な家
プロット
日本
03月15日 劇場で
12日の殺人
プロット
フランス
03月15日 劇場で
COUNT ME IN 魂のリズム
プロット
イギリス
03月15日 劇場で
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ねばぎば 新世界コメント(12)
しんどい思いをされている方が多いのに、他方、メディアで報道されるまでは、「ああ、そうだったんだあ、知らなかった」のままで終わってしまうテーマ・社会問題について、イメージしやすい部品を、精巧に組み立てて、紹介してくださっています。
ちなみに、今回、主演と監督をつとめられた、上西雄大さんの舞台作品、「コオロギからの手紙(平成31年作品)」をご参照ください。実は、下地となっている、もう一つのテーマだと思うのですが、今回の映画作品より比重を置いて、ご紹介されています。
主演は浪速のロッキー・赤井英和さん、ひとくずの上西雄大さん(上西さんは監督、脚本、プロデュースも!)
ひとくずはシネマロサで見たんですけど、ねばぎばは新宿のK's cinemaで。
本当は8月15日に行きたかった!(上西さんはじめ、出演されてる俳優さんたちに会えた!)
菅田俊さん悪いなーどう見てもガチやなー笑
本当に面白かった!
上西監督の次回作も楽しみです、応援してます🧸✨
あ、ちなみに和泉修さんはいなかったです笑(関西出身で自分世代とかやと、赤井さんが出てる番組には必ず和泉修さんがいるイメージ!笑)
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「ひとくず」に続く、上西監督作品ということで、どんな映画になっているか、期待しながら観ました。
上西監督の作品は、決して洗練された作品ではありませんが、泥臭く、人間的で、温かみのある作風だと思います。
今回の話も「ひとくず」同様、子供が、ひとつの起点となり、話は展開していきます。
社会の底辺で生きていると言える男達が、“武”という子を助けようと、大阪の西成という街を、右に左にと駆け回ります。
社会の底辺に生きていても、人のために尽くそうとする人間の心が描かれていきます。
ラストも、主人公のコオロギが撃たれて殺されてもよさそうなものですが、すべてハッピーエンドで終わります。
難解で悲劇的な方が、芸術的であるかのような風潮がありますが、このハッピーエンドこそ、本物の力量を必要とします。
オーソドックスなストーリーを、しっかり撮っている作品は、真に見応えがあります。
これからも、良い作品を期待しています!
いろいろ思ったことがあるので無粋を承知で書きますね。
やっぱ映画って、脚本と役者と映像と音(音楽)と編集の融合で成り立つものだと思うんですよ。
特に個人的には、映画を観る悦びの大部分が映像と編集によるものなんです。
で、
この作品、2時間弱あるんですけど、鑑賞中ずーーーっとストレスでしょうがなかったんです。
というのも「ひきの画」が極端に少ない。
シーンや場所が変わっても、人のアップしかない。
せっかく同じ空間で会話しているのに、顔のアップの切り返しばっかり。
本当に顔のアップ、アップ、アップ。
それしかない。
画面が狭い。
息が詰まる。
画角が極端に狭い。
狭い部屋での撮影だと、本当に機材が足りなかったのか?と思うほど、
画面の両端に人を入れるのがやっと、みたいな画角が多数。
だから、本当に適当にカメラを据えた、みたいな「なんで?」みたいなカットばっか。
特にひどいと思ったのが、和室で子供との再会を喜ぶ父親の頭頂部ばっか映ってるカット。(しかも頭髪が薄い)
なぜオッサンの薄い頭のドアップを見せられないといけないのか?
このカットの意図は?謎。
あと、宮古島で海の中の父親へ駆け寄る子供の感動的()なシーン。
走っていくカットは必要だろ!?なんでないの?
普通の感覚なら、画面の左から右へ走っていく子供を、横ドリーで撮るでしょ!?
そこへ音楽をバーーーンと流して、超感動的なシーンにできるやん!
そういう、少なくとも「いいシーン」での決定的な、印象的な画が全くない。
監督さん(コオロギ役の方)は劇団出身らしいので、そのへんの事情には暗いのかもしれない。
だったら撮影監督が適切なアドバイスをしたらいいのに!
テレビ版座頭市で、それこそ顔のアップばっかで一本つくろうとした勝新太郎に、
ベテランの撮影監督が「それでは成り立ちません」とそのアイデアを拒否した、というエピソード、
春日太一の本だったかな、で読んだ。
低予算でもやっぱり「マストなカット」はあるはずだし、そういうのをなんで押さえてないのか不思議。これは撮影監督の責任。
冒頭、せっかくの新世界を闊歩する赤井英和のカット。
レンズはちゃんと拭いとけ。
ストーリーはともかく、舞台ではない「映画」を観ている悦び、
映像の力、編集の力をもっと信じて映画を制作してほしい。
またまた個人的感想だけど、別に舞台も観に行くから他意はないんだけど、
劇団員芝居は映画には向かない、と思う。
大仰。クサい。わざとらしい。
その点、小沢仁志が出てきたときには「映画」らしくなってたわ。
あとさー、
ラストカットよ。
途中でクレジットはさんでるんだからさー、
別に続けて弁天埠頭で終わる必要ないやん。
それこそ冒頭と同じで、新世界を闊歩する二人で終わればよかったのに!
で、もう一回「ねばぎば新世界」のタイトルをババーーンと出すのよ!
これだけでも、おおーってなると思うんだけども。
そもそもこの映画を観ようとおもったきっかけが、予告編の上西雄大。
これはもしかして、とてもいい役者さんなんじゃないだろうか、と。
鑑賞後の感想も全く変わっていない。
この人の良さを引き出せる、最高の監督と最高のスタッフで別の映画を観てみたい。