ARGYLLE アーガイル
プロット
イギリス・アメリカ合作
03月01日 劇場で
明けまして、おめでたい人
プロット
日本
03月01日 劇場で
ネイビーシールズ ラスト・ソルジャー
プロット
アメリカ
03月08日 劇場で
青春の反抗
プロット
台湾
03月08日 劇場で
すべての夜を思いだす
プロット
日本
03月02日 劇場で
COUNT ME IN 魂のリズム
プロット
イギリス
03月15日 劇場で
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TALK TO ME トーク・トゥ・ミーコメント(20)
すごく、つまらなかったです……
ぜんぜん怖くないのです。
ホラーというのは、現実にあり得ない現象を描きながらも、それが現実にあり得る現象のメタファーになっていたり、現実にあり得る心理(主に死の恐怖ですが)が超常的なものによって表現されていたり、そうした時に怖さが生まれるのです。
……と思うのですが、これは私の「怖い」と感じるホラーがそうした次元のものばかりだっただけなのでしょう。
この作品に感じるのは総じて「こけおどし」です。
ホラー表現の背後が空っぽで奥行きがないのです。
その原因は主に主人公のキャラ造型の薄さにあると思います。
あんなに愚かしく描かれては白けてしまいますし、物語に奥行きをもたらす(怖さをもたらす)唯一の筋だったはずの母親の死をめくる彼女の葛藤の描写がまったくおざなりですね。
「おまえはママじゃない!」と振り払う結末なら少しは納得いったのですが……
ラストの趣向も「ああ、やっぱりね。これやりたかったのね」と興醒めでした。
冒頭からして納得しがたいものがありました。
枕をぶつけるだけのシーンにあんな効果音いります?
「不快」は「不穏」とは違います。この映画を作った人はそこを混同している。
不快なだけでちっとも不穏じゃないんですよ。
話の内容は知らずに観たら、久しぶりにかなりハラハラドキドキしました。オーストラリアの車が右ハンドルであることも初めて知りました。
よくあの気持ち悪い手に触れるなと思いながら、霊との交信をする話でした。
冒頭で死にかけのカンガルーに遭遇するのですが、この物語のヒントになっていたと思います。
カンガルーは、この物語のライリーを表しているのだなと思いました。
ミアはライリーとは対照的な結末ですが、あの世は案外孤独なところかもしれませんね。
精神疾患で例えるとライリーはうつ病の苦しみで、ミアは認知症のような状態かな。
結末が予測しにくいのがホラー映画のいい所で、結末の着地点も良かったと思います。
ご多分にもれず「ヘレディタリー 継承」を観た時の衝撃はいまだに忘れられないが、比較するとこの「TALK TO ME トーク・トゥ・ミー」の方が若者向けの印象を受けた。ソーシャルメディアの動画でよくある「〇〇チャレンジ」の文化をうまくストーリーに組み込んだのが大ヒットの要因だろうか。本作の“90秒憑依チャレンジ”に参加する人物らは霊を目にして驚愕するのはいいとしても、中盤のシーンではパーティーののりで参加者らが延々と繰り返すというのがリアリティーに欠け、空虚な話になったぶん恐怖も軽減されたように感じた(若い世代にはこの軽さがいいのかもしれないが)。
「Talk to me(私に話して)」は儀式の最初に口にする決まり文句で、それに続く「I let you in(私に入るのを許す)」を聞いて「ぼくのエリ 200歳の少女」っぽいなと感じた(ちなみに米国版リメイクの原題は「Let Me In」)。鑑賞後に監督インタビューを読んで、インスパイアされた作品に「ぼくのエリ」も挙がっていたので、やっぱり!と思った次第。
興味本位に刺激や快感を求める若者の軽薄さを戒める映画であるということは、「降霊」を危険なドラッグに置き換えると分かりやすい。
ただし、主人公は、そうした行為を正す側の人間ではなく、むしろ、自ら積極的に降霊にのめり込んだり、他人の降霊を面白半分にはやし立てたり、友人の弟に自分の母親の霊が憑依したと思って、自ら設定した制限時間を破らせた挙げ句に、彼を瀕死の目に合わせたりと、身勝手さばかりが鼻について、まったく共感することができない。
主人公の母親の死の真相を巡って、降霊しなくても見えるようになった母親の霊と、主人公の父親の言い分が食い違い、どちらが正しいのかと混乱させられるのだが、「悪霊」の策にはまって主人公が父親の首にハサミを突き立てるに至って、ようやくとどんな話なのかが分かりかけてくる。
おそらく、悪霊は、最初から主人公の友人の弟に狙いを定めていて、彼の魂を奪うために、彼に主人公の母親の霊が憑依したと見せかけたのだろうし、その後は、自らが母親の霊に成りすまして、主人公をミスリードしたのだろう。
あるいは、母親自身が悪霊になってしまったという考え方もできるかもしれない。
結局、悪霊は、主人公の魂が手に入ったので、友人の弟の魂を解放したのだろうが、ラストシーンを見ると、「手」によって降霊するのは、悪霊によって魂を奪われた者で、その魂も悪霊になっているのかもしれないとも考えられる。
いずれにしても、後味の悪いバッドエンドであることは間違いないのだが、「共感できない」という主人公のキャラクター設定も、こうした後味を緩和するためのものだったとすれば、それはそれで納得できるのである。