50% 欲しいです,合計 119
レビュー | 共有する
サマー・ソルジャー プロット 日本 03月25日 1972 劇場で
アロハ・サマー プロット アメリカ 06月18日 1988 劇場で
コルベット・サマー プロット アメリカ 03月03日 1979 劇場で
サマー・シュプール プロット アメリカ 08月24日 1991 劇場で
サマー・ストック プロット アメリカ 01月01日 1900 劇場で
サマー・デイズ プロット アメリカ 07月02日 1988 劇場で
シチリア・サマーコメント(20)
行った事ないけど地中海性気候の爽やかな天気から、陽気で明るい人たち、青い海、イタ飯、朝からワイン!のイメージが強く刷り込まれており本作も画はとても綺麗だった。
主人公2人もシチリアのイメージに負けないくらい綺麗な容姿なのだが、その綺麗さが後々展開される胸くそ悪いストーリー(しかも実話がベース)と相反し、余計に胸くそ悪さを増幅させている。
変わらない文化や伝統の影に「変えなければならないこと」が蔑ろにされてきたことを教わった。光あれば影ありだ。
こういう映画を見ると思うのだが、まともな性教育が出来ないのならせめて質の高い映画を観せてはどうだろうかと。中学生なら十分理解できる内容だし。
女性もさることながら1980年頃の南ヨーロッパの生きにくさは計り知れないと感じた。
良い時代に感謝。
今まで普通に接して普通に食事して普通に会話していたのに
「男同士で・・・」のたった一人の告げ口で一変。
まさに犯罪者のように尋問叱責泣き叫ぶ。
イタリアと言えば「性」には寛容だとイメージがあるがほんの40年前は寛容には程遠く
異質なものを認めないどころか排除する、社会的に抹殺する。
少年たちはごく自然に惹かれあい自然に結びついていく。
男女であれば周りに祝福されるカップルのように。
彼らに何の落ち度があるのか、何の罪があるのか。
本来「愛」とは誰に強制されるものではない、付き合うのも別れるのも本人の心次第であるのに無理矢理大人たちに、社会に引き裂かれる。
しかし心は引き裂かれない…ハズであったが・・・
実話の結末であれば謎の多い事件であったがたった2人の少年がその死と引き換えに残したものはあまりにも大きく自分たちを排除・抹殺した社会への復讐、社会を大きく変革させたというものであったことは皮肉であろう。
少年たちのピュアな心を映し出したように映像は澄み渡り美しく
社会や大人たちの醜く黒さをよりあぶりだしているようであった。
改めて少年たちのご冥福を祈りたい。2人の永遠の愛のために。
予告編では2人が恋人だと言っている。特に前半は、イタリア美青年(少年?)2人のラブストーリーでもあり、風景明媚な夏のシチリアを背景に2人がとても楽しそうだった。
とにかく、前半2人は余りにも幸せだ。それが後半、恋愛、性の対象が同性だから許せないという理不尽な理由で否定され殺される。
かなり後半、ニーノの家族が2人が恋人であることを知る。そこからの同性愛憎悪の描写が凄まじい。同性愛は存在自体が許されない悪で、殺しても構わない、いや殺さなけれならないという考えだ。存在が否定される。ジャンニに嫌がらせをしていた奴らが立ちすくんで呆然としてしまうほどの憎しみと暴力だ。結局2人は殺されてしまう。
殺してしまうほどの憎悪は、宗教の教えが人生と密着してて生きる指針になってるからなのか? 僕は無宗教の人が多い日本のことしか知らないので、人生と宗教が不可分というのがサッパリ分からない。
イタリアはカトリックの総本山バチカン・ローマ教皇庁がある。ローマ教皇のお膝元、地元だ。カトリック教徒が多く、ローマ・カトリック教会は同性愛を罪としている。 モーゼさんは10Fで 「殺っちゃダメよ」とも言ってるのに。