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サマー・ソルジャー プロット 日本 03月25日 1972 劇場で
アロハ・サマー プロット アメリカ 06月18日 1988 劇場で
コルベット・サマー プロット アメリカ 03月03日 1979 劇場で
サマー・シュプール プロット アメリカ 08月24日 1991 劇場で
サマー・ストック プロット アメリカ 01月01日 1900 劇場で
サマー・デイズ プロット アメリカ 07月02日 1988 劇場で
シチリア・サマーコメント(20)
彼氏と一緒に池袋で観ました。
是非、多くの方々に観てもらいたい作品です。
※過激な性描写は無いから、見やすい内容だと思います。
1982年の設定で、
そして、俺らは、1982年生まれのゲイカップルです。
※実際、遺体が見つかったのは1980年です。
映画を観終わり、
涙が溢れました。
2人して…。
そして、1番最初に
映画館を出ました。
そして、
この内容は、
昔話ではなく、
現在進行形だと思います。
なぜなら、
■SNS。
■昇進対象外。
■会話のネタに使われたり。
苦痛を感じる時間は、
未だに沢山あるからです。
俺らは、
怖くて怖くて、
カミングアウトができません。
是非、多くの方々に観て欲しいです。
そして、
身近に当事者がいる視点を
忘れないで欲しいです(^^)
ちゃんと税金も納めてるし、
人様に迷惑を掛けない生活を心掛けてます!
『子供の幸せを誰よりも願っているのは、親』
と、聞いた事があります。
これは、事実なんでしょうか???
ラストに、
『秘め事であれば、100年つづけられる』
この言葉、素敵だった。
しかし、
この言葉さえ無ければ…。涙
天国で、
実際のお二人が手を繋ぎ、
『つづき』をしている事を、
心からお祈り申し上げますm(_ _)m
是非!多くの方々に観てもらいたい作品です。
ブラボー!(素晴らしい!)
グラッツェ!(ありがとう!)
悲しすぎるなというのが、正直な感想。
人間はなぜそんなに異性愛が当たり前で正義だと思ってしまうのか。
生物としての本能なのだろうか。
人間は生物の中でも、言語を扱い
知能や感情も発達しているが、それでも原始的な生物の本能には
抗えないのか。
それとも、発達した知能や複雑な感情が、逆に邪魔をするか。
今でもまだまだ偏見はあるが
少しずつでも、あらゆる人たちが平穏にすごせる社会になると良い。
きらきら輝くような二人とは対照的に、周囲や家族らからの当時の偏見による嫌悪感が辛い。
ニーノの周囲の偏見をもものともしない行動に二人の幸せを感じられたエンドだったので、終わり後の注釈が無慈悲。
その実話を元にした創作は救いを感じられそうなエンドにしたよと思っていたので。
バッドエンドは予想できたとはいえショックが大き過ぎて涙が止まりませんでした。
同性愛嫌悪や差別。保守的な社会に、理不尽さや悲しさを感じずにはいられません。説明無しのラストが印象的。
ニーノとジャンニの関係性があまりにもあっさり描かれ過ぎてるように思いました。ニーノがジャンニに興味を持っていく過程が薄い気がします。お互いのバイクがぶつかってしまうきっかけはいいのですがそれだけでそうなる?と思ってしまいます。
イメージですがイタリア南部の方が保守的で昔ながらの考えが多い気がします。故に同性愛に対して偏見が見られるのかと思いますしそこに家族愛が乗っかってくるとどうしても同性愛者には厳しく当たってしまうのでしょうか。それが度を越えると最悪死なせてしまうということもあるのかと。同性愛だと気づいた時の家族の反応が地獄の底まで突き落とされたかのように見えました。
全編にずっと家族愛というテーマがあったような気がします。ジャンニの母の恋人(継父?)がずっと同性愛者であるジャンニにきつく当たるのですが最後町の輩に痛めつけられている時に咄嗟に助けに入るあたりそこにはいかなる事情が絡もうともそれを超越した家族愛を感じます。逆にニーノに温かい愛情で接していた家族がジャンニに恋愛感情を抱いていることに気づくとそれまでの態度が嘘かのようにニーノに対して厳しくなってしまうことが善と悪の逆転現象にも見え根深い愛と憎悪が一瞬にして変わってしまうんだなと考えさせられました。
結局のところ二人はまた愛し合うことになるのですが物事の成り行きに深みがあればもっと良かったのにと思ってしまいます。