花のあすか組!
プロット
日本
08月13日 1988 劇場で
花のおもかげ
プロット
日本
11月03日 1950 劇場で
壁の中に誰かがいる
プロット
アメリカ
01月01日 1900 劇場で
花のあすか組NEO!
プロット
日本
04月25日 2009 劇場で
みんな誰かの愛しい人
プロット
フランス
10月30日 2004 劇場で
僕のベッドは花ざかり
プロット
アメリカ
01月14日 1965 劇場で
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誰かの花コメント(2)
作品はというと、「答えのない問いとそれに向き合う人々」がテーマという感じ。『空白』や『由宇子の天秤』と似たような形だが、1番動きが少なく鈍い。さらに言えば、何処よりも彷徨い、心の拠り所がない。監督いわく、正義vs正義の構図になっているがための物だと言う。確かに何処にも責めようのないもう1つの顔が滲む。少し疲れることもあってか、体感時間は長い。
カトウシンスケさんの放漫な雰囲気がすごくハマっているのだが、実際見てみると男らしいオーラを感じる。和田光沙さんも初めて見たが、やはりきれい。子役の子は端正な顔付きで可愛げもある。どうにも読めない雰囲気は作品の良いスパイスになっていたと思う。
少し難しいまま、意味を感じにくいカットも多かったのが惜しいところ。何はともあれ、ジャック&ベティさんおめでとうございます!
交通事故、作業現場、事件現場に巻き込まれての事故。さまざまな事故現場で命を落とす被害者も出る場合がある。
毎日のニュース報道で知る一つひとつの出来事に、加害者・被害者を判断して一件落着。どこか一つの出来事の結末を見た感覚に落ち着きたいのかもしれない。
本作の奥田裕介監督は、そうした納得したい一種の安堵感に「そう簡単なことではないのかもしれない」と、気づきを与えてくれる。
団地に引っ越して来たばかりのある一家の大黒柱である夫が、ある日、ベランダから落ちてきた鉢植えが頭を直撃し、亡くなった。その日は風の強い日でベランダの腰壁の際に置いてあった鉢植えが運悪く頭を直撃した事故なのか。あるいは、誰かが意図的に落とした事件なのか…。縁故の線はないのだろう。警察は事故と判断する。だが、ベランダの部屋の住人は、周囲からの痛い視線にさらされる。
ベランダの部屋の住人の隣に住む認知症の老人の手袋が、当日、土で汚れていたのを訪ヘルパーの若い女性が思い出す。老人の息子は、自室のベランダにつながる台所のドアが事故当日開いていて、ベランダ用のサンダルが土で汚れていたのを思い出す。二人の心に「もしかしたら…」という疑念が心によぎる。
事故で亡くなった夫の一人息子は、時折り自室のベランダから階下の出入り口や団地内を眺めている。大人たちの会話にも想いを巡らすような雰囲気。いつしかそのピュアな視線は、大人たちが取り繕うとしている事柄を見つめているように痛く刺さってくる。
サスペンスフルに展開する事故後の日常とそれぞれの家庭と家族の想い。
一つの事故が明らかになることが、どのような意味で重要なのか。さまざまな立場の視線が痛くもあり、想いを吞み込んだ温もりのようになる。
子どもの相太役・太田流星の立ち居振る舞いとピュアな視線が心に残る。人の心の奥深くをのぞかせてくれる佳作でした。