ジャンク・イン・ザ・ダーク
プロット
アメリカ
07月02日 1988 劇場で
アローン・イン・ザ・ダーク
プロット
カナダ・ドイツ・アメリカ合作
05月20日 2006 劇場で
ダンサー イン Paris
プロット
フランス・ベルギー合作
09月15日 2023 劇場で
フロム・ザ・ダーク
プロット
アイルランド
05月20日 2015 劇場で
呪いの迷宮 ラビリンス・イン・ザ・ダーク
プロット
イタリア
04月22日 1989 劇場で
イン・ザ・スープ
プロット
アメリカ
12月18日 1993 劇場で
このサイトは、映画のポスター、予告編、映画のレビュー、ニュース、レビューに関する総合的な映画のウェブサイトです。私たちは最新かつ最高の映画とオンライン映画レビュー、ビジネス協力または提案を提供します、私達に電子メールを送ってください。 (著作権©2017-2020 920MI)。メール
ダンサー・イン・ザ・ダークコメント(20)
この映画を見た最初の感想は「なんだよこのクソ映画!」でした。全部悪い方向に進んでいく…といえば聞こえはいいもの、ビルに金を取られてから殺すまでのくだり以外全部自業自得じゃねーか!というか諸悪の根源は見栄のためにリンダに本当の事言わなかったビルじゃねーか!って怒りが止まりませんでした。
でも、客観的に物語としてこの話を見てみると彼女に降りかかる不幸にはセルマのジーンへの愛を際立たせる役割があるんじゃないかと気が付きました。信仰のために殉教する聖人の伝説とかと同じで、自分がいかな不遇、苦痛に遭おうとも息子の為に健気にその境遇に甘んじ死ぬ母の美談というのがこの映画の本筋だと私は感じました。ただこの映画のミソはその重要な本筋である「母であるセルマ」が全体を通して霞みやすいところにあるのではと思います。セルマとジーンが直接会話するシーンって冒頭に集中してる上にかなり少ないんです。しかも大体の場面でセルマはジーンを叱ったり注意したりしている。息子への愛あればこそ厳しく接するのでしょうが、セルマが息子を愛していると周囲に話すシーンは結構あるのに実際に息子と話すシーンでは愛情表現をする描写が殆ど無い。ゆえに見ている我々にはいまいちセルマのジーンへの愛に実感が持てない。その上描写が序盤に偏ってるので、セルマが絞首台に向かう頃にはジーンの顔を思い出せないぐらい印象が薄まってくる。親子愛の美談なのに肝心のセルマのジーンへの愛情を感じられないのは致命的です。だからセルマの献身的な愛よりも社会的弱者が踏みにじられている状況が心に強く残り結末に救いを見いだせなくなる。これがこの映画を見た時の胸糞悪さの原因だと思いました。で、この親子愛の描写の少なさ、恐らくですが意図的に作られたものだと思います。だって終盤明らかにジーンの登場が減るじゃないですか?キャシーが面会に連れてくるとか絞首台にキャシーが来るシーンでワンシーンだけ外にいるジーンを映すとかで観客側にジーンの事を意識させる事はできるわけですよ。それをしなかったのは見た人の大半には単なる美談だと腑に落ちないで欲しかったからじゃないかと思うんです。単に美談で終わらせるなら別に主人公はチェコからの移民じゃなくていいし盲目じゃなくていいし、なんならシングルマザーじゃなくてもいい訳です。移民だからと裁判では冷ややかな目で裁かれ、目が見えないと働き口が見つからないから盲目であることを隠している。セルマは無実だが死刑執行後誰一人真実を知ることは出来ず、親に先立たれたジーンはこれから1人で生きていかなければならない。セルマが社会的弱者だからこそ、救いの無い結末を見終えた観客に移民差別や障害者雇用、死刑制度での冤罪といった問題を意識させることが出来る。この作品は、子への愛の美談を大筋に据えながらあえてその要素を薄くする事で社会問題について我々に問い掛けている、というのが私の見解です。
作品の狙いについて一通り考察したのでミュージカル要素についても軽く触れますが、ミュージカル映画では珍しくミュージカルパートが主人公の想像な訳ですが、この空想によるミュージカルパートが「頼れる親に類もおらず辛い境遇にありながらも息子の為だけに働いている」という想像、共感しにくい存在なセルマと私達観客を繋いでくれています。工場でのミュージカルの時点ではミュージカル好きなセルマの空想、といった感じでしたがビル殺害後からは現状が耐え難いセルマの現実逃避としての側面が強まり、明るく楽しいミュージカルとは裏腹に無情にも好転せず悪くなっていくばかりの現実に絶望するセルマの感情が私達観客にひしひしと伝わってくるいい表現だと感じました。
総評すると、上手く作られていて一枚岩とはいかないよく出来た作品なのですがやっぱりもう二度と見たくないです。特にビルからお金を盗まれるシーンは被害者なのに盗人のように扱われ泣き出すセルマが本当に痛ましいし自己保身しか考えないビルもビルの言う事しか聞かないリンダも腹立たしくて見てられないです。思い出しても嫌な気分になります。でも嫌な気分になるからこそ沢山考えさせられる作品だと思います。
一人息子をもつシングルマザーで、盲目になっていく障碍をもちながらも必死で働いているが。。保安官になけなしの貯金を盗まれ、抵抗した挙句の事件から罪に問われて、最後は処刑されてしまうという。。
このストーリー展開が救われない。監督は何を描きたかったのか、とことん、必死でもがきながらも生きている人間そのものを描きたかったのだろうか。この監督は、不安な瞳をみることに興味があるのだろうか。
なんでこれ勧めたの?
鬱じゃん、こんなの
どんな気持ちで勧めたの。よく嬉しそうに作品名言えたねぇ。鬱映画勧めるノリじゃ無いでしょ。
セルマの友人が「死刑の時見送りに行く」って言って、セルマが「(死刑執行の様子に)耐えられるなら見に来て」とか言ってたけど、観客からしたら拒否権無いんだよ。見るしかないんだよ。最後まで。
ちょっと期待してたんだよ死刑流れてなんとかなるでしょって、ならないじゃん。これからチャペル風の音楽聞くたびセルマのこと思い出すよ。結婚式で歌が流れてお嫁さん幸せそうだな〜って思いながら、けどセルマは監獄で死ぬ前同じの聴いてたんだよな…って悲しくなるよ。
それにしても警官なんでセルマに撃たせたんだ?最初の一発だけなら生きられるレベルでは?裁判の具合から言ってセルマの負けが確定してるし、セルマに自分を撃たせず、セルマが自分から撃ったことにすれば良いのに…そうすれば命も助かってお金も手に入って win winだったのに…よく分からない…
主人公の思いもわかるし、意志の強さとか決意の強さとかも分かる。
しかし、やっぱり違う方法があるというか、もう少し違う考え方もあると思ってしまう。
1番イライラしたのはミュージカルで現実逃避するところ。
「いやいや、現実見ろよ、そんなことしてても現実は変わらねーよ」って思う。