きれいなおかあさん
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アメリカ
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おんなのこきらいコメント(20)
メンヘラすぎて前半はイライラのフルコンボでした
後半はまだイライラ抑えてみれました
着飾った感じじゃない映画で新鮮でした
結局、かわいい人は得だなと再認識させられた。
人間関係をぐちゃぐちゃさせて、女の子がかわいいに囚われた時の苦しさ、痛みなどを伝えたいのかもしれないが、言葉足らずすぎる。雑にクズが出て来てる感じにしか見えなかった。
カット割も乏しく、森川葵の決死の演技も見えない。残念だった。
人は様々な自分を持っている。
会社で働く社会的な自分、友達と笑い合う自分、家で気を抜いている自分…数えきれない程、場面に応じたそれぞれの自分。
全て同じ自分でありながら、全てが違う自分といっても過言ではない。自分でもわからなくなるくらい、自分というものは多様だ。
むしろ他者のほうが自分について知っているのではないか、と稀に思う。が、それは本当か?それはあくまでも他者からみた自分であり、完全なる「俯瞰」とは少し逸れるのではないだろうか。
もっと楽に、もっと自然体に、と他人に助言するのが良いこととされている風潮があるような気がするのだが、常々それについて疑問に思っていた。他人のいう「自然」は時に自分にとっての「不自然」であるからだ。
また、「自然」でいることについて、誰しもが楽になったり居心地の良さを感じるとは限らない。他人のいう「自然」がすっぴんだったとしても、化粧をした自分こそが「自然」な自分と感じる人だっているはずだ。
この映画の主人公にとっても、かわいくぶりっ子であることが「自然」であり、彼女のアイデンティティなのだと思う。
それが恋愛において優勢に立てる方法ではないことなんて気付いているだろう。しょーもない男しか引っかからず、挙げ句の果てに遊びで終わるような関係しか築けないことに気付いてしまった。でもそれが自分だ。
ラストの彼女の清々しいぶりっ子に安心した。また、好きな人に会いにいく前、服装や髪型こそナチュラルテイストだけど、鏡の前でぶりっ子な表情を隠しきれていないシーンがよかった。
所々出てくる主題歌担当?のアーティストのシーンはこの映画の安っぽさを際立たせている気がして、要らないかな…。もったいない。でも良作。
小説読んで、他の映画・ドラマを見て、たくさんの経験を積んで、”人間”と向き合ってからじゃないと、こういう映画は陳腐になる。
”おんなのこ”の生態を描いた作品と思って鑑賞したが、
ダメンズ(男)たちを描きたかったのか。
あんな男に引っかかるのは悲劇だな。
かわいいは武器だ。
きゃりーぱみゅぱみゅさんがその代表。
加賀まりこさんとか、女優にも枚挙にいとまがない。
キリコだって、ただかわいいを武器にしているだけじゃなく、
少なくともコラボ相手に仕事丸投げしている先輩より仕事頑張っている。
かわいいだけで、性格が悪いっていう設定だが、全然普通だ。
本当に”かわいい”を武器にしている”女”は、あんなものではない。
このキリコの”かわいいだけで性格悪い”は、せいぜい、高校レベルやコンパでの恋のさや当てで出会う程度だ。
キリコはOLだが、仕事の”場”が描けていないから、リアリティがない。
社会にでて、いろんな人と関わらざるを得ない身には、キリコが”かわいい”のは認めるが、”性格が悪い”が伝わってこない。
監督ご自身が、こういう女に彼をとられて、意趣返しに作った映画か?
自分の体験談か?
それでも、森川さんの微妙な表情・演技があったから、なんとか最後まで鑑賞できました。