ザ・クリーナー 消された殺人
プロット
アメリカ
02月07日 2009 劇場で
最初に父が殺された
プロット
アメリカ
01月01日 1900 劇場で
殺したいほど愛されて
プロット
アメリカ
09月15日 1984 劇場で
女子高生に殺されたい
プロット
日本
04月01日 2022 劇場で
賭はなされた
プロット
フランス
10月30日 1951 劇場で
007/消されたライセンス
プロット
イギリス
09月30日 1989 劇場で
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殺されたミンジュコメント(20)
1年後、事件に関わった男たちが、謎の集団に誘拐され、拷問の末、何をしたのか書かされたあと放免される。
殺人という極端な話だが、多かれ少なかれ社会全般に通じる話で、どこで恨みを買うかわからない怖さがある。
【毒をもって毒を制す】
いつもの様にキム・ギドク節炸裂。暴力に対抗しうる最大の武器は、やはり暴力なのだろうか?それを自制する心が人間にはあるのか?本当の暴力とは何か?キム・ギドクが観客に問い掛ける。
終盤で将軍が「俺がライギョになってやる」と挑発する。
映画では併せ鏡の様な存在の二人に、最後は鉄拳制裁を与える結果になる。それを遂行するのは現場の言わば《作業員》。だがその前にある人物が、リーダーの前に現れていた。
1人8役らしいのだが(7役まで気が付いた)同一人物がこの映画の鍵を握っている。
このリーダーの住家に現れる2役は、暴力と平和との対比として。
隊の中に唯一存在する女のDV彼氏は、日常に蔓延る暴力の象徴として。
アメリカ留学の経験がある男隊員の兄は、言葉の暴力の象徴であり。取り立て屋として弱い人間に対しての暴力。
レストラン勤めの男隊員と、若い女性に対してセクハラ紛いの行為をする男は。客と店員:男と女と言った立場を利用する暴力の象徴として描かれている様に見受けられる。
隊員達の意見は割れ、次第に秩序は崩壊する。以下は私がこの作品を観ての一方的な感想ですが。一見すると暴力の連鎖の恐ろしさや、虚しさを扱っている様に見えるのだが。実はある程度の暴力が存在するからこそ、社会には秩序が保たれている…と描かれている様にも感じた。
極論になるが、死刑制度の有無や功罪にまで、話が及んでいる可能性すら秘めている作品とも言えまいか。
(2016年1月23日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター2)
容疑者達の言い分は、上の命令は絶対でどんなに理不尽なことも断れない空気が恐怖を感じた。
何か画面が映画っぽくなく絵面もアングルもありきたりで再現ドラマを見ているようだった。
一人が何役もやっていたのは予算の都合?それとも寓話的に仕上げるためか。
あれだけ様々な拷問があるなら大ボスはガムテープぐるぐる巻きで窒息死なんて生ぬるいものじゃなくて、もっと苦しませて殺してほしかった。
韓国社会そのまんまな作品…?権力と弱者となんやかや。人生最大の危機にせまられながらいつでも誰でもいばり騒ぎまくるって、日本じゃありえない美学。