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ブラック・レイン プロット アメリカ 10月07日 1989 劇場で
ブラック・サンデー プロット アメリカ 01月01日 1900 劇場で
ブラック・クローラー プロット オーストラリア・アメリカ合作 02月05日 2021 劇場で
ブラック・ジャック プロット 日本 11月30日 1996 劇場で
ブラック・ドッグ プロット アメリカ 06月26日 1999 劇場で
ブラック・ムーン プロット フランス・西ドイツ合作 11月15日 1990 劇場で
ブラック・ウィドウコメント(20)
久しぶりにMCU作品を映画館で見ることができた。
ディズニー+でもやってるからどうしようかと思ったが、映画館で正解だった。
あのアクションシーンはやっぱり大画面が似合ってる。
ドラマシリーズとは違った迫力があっていい。
ナターシャの過去の話。
そこで一度壊れてしまった家族の再生が、エンドゲームでの行動へと繋がる。
過去の共産圏の国の話なのでどんだけ暗くおどろおどろしくなるかと思ったが、みんなそれぞれユーモアあってよろしい。
またシビルウォーからエンドゲームまで一連の流れを見返そう。
そう、ファルコン&ウィンターソルジャーも。
これから心配なのは、マルチバース化によって過去の話の重さが軽くなってしまうおそれがあること。
よかった。
気を抜くことができない130分でした。
久しぶりのmarvel楽しませてもらいました。
ブラックウィドウが何者なのかよくわかりました。妹の存在も含めて彼女のひととなりがしっかり分かりました。
これからしばらくmarvelラッシュ。
楽しみです。
レッドルーム恐るべし。
すごい大きな組織だったんですね。
内容はハラハラした展開で良かったです。
マーベル作品の迫力というよりかはスパイ映画の迫力に近いので、ド派手なものを求めているとかなり期待はずれになるかとは思います。
しかし、スパイ映画としては道具も、格闘もなかなか楽しめるものがあります。
一応、ヒーロー要素の父親がいましたが、正直スーパーパワーは入らなかったのではと思いました。(余りにも目立たなかったので...笑)
マーベルの今後の製作体制の意思表明でもあり、少なくともフェーズ4が「補い」のフェーズであることを示している。
アメコミにおいて、大まかなストーリーラインとは別に、様々なキャラクターの視点で描かれるスピンオフを大量に作ることで、描き切れなかったことを補っていくことがひとつの文化として定着している。
例えば「シビル・ウォー」ひとつをとっても、アイアンマンの視点、スパイダーマンの視点、ヴィランの視点など…それぞれの物事の見え方というのを描いている。
これは、様々な人種やマイノリティが共存するアメリカという国ならではの見え方を反映しているのかもしれない。
しかし、映画となると限られた尺で要素を詰め込まなくてはならず、どうしても省かなければなら部分も出てきてしまう。特にアクション映画というジャンルにおいては、ある程度は大味になってしまう。
最近は日本でも割と翻訳されるようになった「プレリュード」というシリーズも、映画では描き切れなかった部分を描いているのだが、ディズニー傘下となり、散らばっていた多くの権利を取り戻すことができたマーベルだからこそ、映像は映像で補いたいという意識も強くなってきたように思える。
Disney+での配信予定が発表された作品の多さに驚くものの、本来これをやりたかった。つまりアメコミのスタイルを映画、ドラマ業界にも持ち込みたかったのである。
「補い」のフェーズとなれば、無視できないのは、やはりブラック・ウィドウ。
ブラック・ウィドウが初登場したのは『アイアンマン2』
アベンジャーズの初期メンバーであり、計7本のMCU作品に登場ながらも、バックボーンが部分的にしか描かれていなかったブラック・ウィドウは、ホークアイやニック・フューリー同様に、たびたび単独作の製作が噂されてきたキャラクターのひとりであるだけに、「補い」のフェーズのトップを飾るに相応しい。
かつては少女時代から洗脳教育を受けて、訓練されたロシアの傭兵のひとりであったナターシャが抱えている過去のトラウマを描くにあたって、『さよなら、アドルフ』で自らの意志とは関係なく、ヒトラーの子供、戦争犯罪人の子供として扱われる苦しみの中で懸命に生き抜く姿を描いたケイト・ショーランドが監督に選ばれたというのは、もはや必然ともいうべきではないだろうか。
時代や戦争による異常なモラルの中で作られた擬似家族。作りもので作戦の一部であったかもしれないが、作り物が本物に変わることだってある。
アベンジャーズがアメリカにおいての「家族」であるならば、今作で描かれるのはロシアにおいての「家族」の物語。それぞれが、いわゆる一般的で普通の家族像を知らない不器用な者たちではあるが、手探りで見つけようとしている姿には感動できる部分もある。
特殊能力がないブラック・ウィドウだけに、地味になりがちかと思いきや、全然そんなことはなく、スパイアクション映画としての娯楽性も十分に詰め込まれていて、コピー能力をもつ原作の人気キャラクター、タスクマスターとの空中戦は必見。
何気なく観ていたブラック・ウィドウの登場キメポーズの理由をメタ的視点で扱ったことや、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』の服装に繋がるエピソード、ドラマシリーズを観ていれば驚くサプライズゲスト、そして数々の小ネタの回収と更なる伏線の根を育てるといった点でも見所の多い作品である。
「地球消滅規模の大きな出来事」の裏で見えなくなっている、「小さくない事件」には、ヒーロー不在である事実。
救っている気になっていたという、無力感を描く点でもフェーズ4の描こうとしているものには、今までのMCU同様に物理的に繋がる部分に加え、「補い」というテーマとしても大きく区分をしていることが今作を観たことで明確に伝わってきたのだ。
残念ながらスカーレット・ヨハンソンが演じてきたブラック・ウィドウは今回で最後。
しかし、原作同様にブラック・ウィドウというコードネームは、次世代に引き継がれるだろう。それが誰かは、今回複数の候補を残していて、今後レッドルームの者たちがどう動き、どう成長していくかという点でも無限の可能性を提示してみせている。
作風はこのシリーズ鉄板なので
雰囲気は充分楽しめました。