1910年にバルセロナで生まれ、95年にニューヨークで没した実在の画家ジュゼップ・バルトリの人生を描いた長編アニメーション。1939年2月、大勢のスペイン共和党員がフランコの独裁から逃れてフランスにやってくる。フランス政府は政治難民となった彼らを収容所に押し込め、冷遇する。そんな中、収容所を監視するフランスの憲兵と、難民の中のひとりの絵描きの間に、有刺鉄線を超えて友情が芽生える。風刺画家オーレルの初監督作品。2020年・第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション作品。日本では「東京アニメアワードフェスティバル2021」コンペティション部門で長編グランプリを受賞(映画祭での上映タイトルは「ジョセップ」)。
ジュゼップ 戦場の画家コメント(15)
スペインの政治難民であり後に画家となるジュゼップの半生を描いた実話。
物語は政治難民となりフランスに逃げ収容所で暮らす姿から始まる。
看守達はジュゼップをはじめとしたスペイン人達に対して酷い扱いを行い、時には殺してしまう。そんな過酷な環境である。
それをよく思わない看守の一人がジュゼップらを親切に扱い、ジュゼップに鉛筆などを支給し画家になるきっかけを与えた。
その優しき看守の一人が現在では末期状態のお年寄りとなり孫にジュゼップの事を語りながらストーリーが進む構成となった作品である。
綺麗な色彩で絵的には見易さはあるのだがストーリーが端折る展開に感じイマイチ響かず。
ジュゼップが生きた収容所の過酷さ看守達の醜態さを感じる事はできるがイマイチ彼の絵に込められた強いものを未熟ながら感じる事は出来なかった。
上映時間が1時間ちょっと短い事もあってか個人的には全体的に響かず心残りとなる作品になってしまった。
決してハッピーな内容ではないけれど、予想外に華やかな印象を受けた作品でした。
本作品の主人公セルジュはそんな芸術家を異国の憲兵として見守る。スペイン内戦は政府軍と反乱軍という単純な構図ではなく、それぞれの勢力に内紛が絶えず、排除の論理だけが怒りの感情となって武器に現れるという最悪の推移であった。フランコは政権を握ってからも元政府軍を弾圧したから、カタルーニャやバスクの人々はピレネーを越えてフランスに逃れたのだが、それはドイツ軍がフランスを制圧するという最悪のタイミングであった。最悪と最悪が重なって、収容所で苦痛の日々を送るジュゼップだが、自分の不幸まで客観視するようにひたすら絵を描き続ける。
憲兵のセルジュが心を敲たれたのはジュゼップの絵ではなく、そういうジュゼップの生き方だと思う。セルジュはジュゼップと対峙するのではなく、横に並んで一緒に作品に向かい合うような、そういう接し方をしている。それはセルジュの優しさなのだろう。
優しい人間にとって戦争は苛酷だ。自殺しない限りは、戦争の中で何らかの役割を果たさなければならない。それは支配する側だけでなく、収容所で餓死したり、病死したり、あるいは憲兵から殺されたりする難民も含まれる。殺し殺され、いじめいじめられ、という酷薄な関係だけが戦争だ。
夏は日本にとってだけではなく、世界にとっても第二次大戦が集結したことを思い出す季節である。この時期には多くの戦争映画が公開されるが、本作品は新しい切り口で戦争を描き出してみせた。難民問題という現在の問題がすでに昔から繰り返されてきたことも表現している。そして芸術家がどのように現実を捉え、どのように作品に昇華させるのか、戦時下の人々がそれぞれどのように芸術と向き合ったかを教えてくれる。
戦争という最も凄惨な状況にあっても、芸術は必要だ。それは絵だったり詩だったり小説だったりする。映画であることもある。コロナ禍でも戦争は常に振り返る必要がある。戦争映画を観に行くことは決して不要不急の行動ではない。コロナ禍に乗じて国家主義を浸透させようとする族(やから)たちがいる限り、戦争映画は有用有急のコンテンツなのだ。
年老いた憲兵だった祖父さんが当時を孫に語る体でみせていくけど、あらすじを読んでいなかったり、当時の情勢を知らないと序盤はわかり難いかも。
フランス人憲兵達の非人道的行いや、それに屈する難民達、彼等の息抜き、そしてジュゼップとセルジュの交流とレジスタンスの蜂起等々をみせていく。
淡々としつつも民族主義や力に対し鬱屈としたもの、その中でも垣間見える日常と希望と悲哀、当時の難民達の感情等とても面白かった。
どこまで事実か判らないし、ジュゼップという人物を知らなかったけれど、ヴァランタンの件が事実なら痺れるねぇ。
理不尽な苦しみ、悲しみだらけだが、心温まるシーンもいくつか。
アニメではない、優しい絵である作品。