1910年にバルセロナで生まれ、95年にニューヨークで没した実在の画家ジュゼップ・バルトリの人生を描いた長編アニメーション。1939年2月、大勢のスペイン共和党員がフランコの独裁から逃れてフランスにやってくる。フランス政府は政治難民となった彼らを収容所に押し込め、冷遇する。そんな中、収容所を監視するフランスの憲兵と、難民の中のひとりの絵描きの間に、有刺鉄線を超えて友情が芽生える。風刺画家オーレルの初監督作品。2020年・第73回カンヌ国際映画祭のオフィシャルセレクション作品。日本では「東京アニメアワードフェスティバル2021」コンペティション部門で長編グランプリを受賞(映画祭での上映タイトルは「ジョセップ」)。
ジュゼップ 戦場の画家コメント(15)
実在した画家にして、自分の戦争体験を描き残した戦場画家であり、風刺漫画家としても知られるジュゼップ・バルトリの物語を、クロッキー鉛筆画のタッチを強調した独特のアニメーションとして描き出す。
単純にデザイン的な観点からもおもしろい作品であるし、今年は『ベルヴィル・ランデブー』のリバイバル上映や『カラミティ』『DAHUFA -守護者と謎の豆人間-』などなど、多国の様々な特徴をもったアニメ映画が多く公開される。年々、そういった機会というのが増えている。
日本のアニメ産業もジャパニメーション、クールジャパンというブランドのように、世界に売り出していながら、その運営や現場の雇用体系は過酷なものが多く、結局は海外のアニメ製作会社に頼ったものが多くなっている。その結果、技術やセンスが他国にダダ漏れになっている気がしてならない。
アニメ産業は日本がトップだなんて、大きな態度でいられる時代は終わりつつあるのかもしれない…という話をしてしまうと、脱線してしまうので、それぐらいにしておこう。
美術をかじった人や学校で授業を受けたことがあれば、知っていると思うが、 今作で取り入れられている、 クロッキーというのは、素早く描くのが特徴ではある。簡単に言えば簡易デッサンといったところだろうか。
しかし、今作にはクロッキーではない、しっかりとした風刺画や1枚絵もいくつか印象的に映し出される。
つまり、その絵が生まれるきっかけとなった背景は、クロッキーのように描いて、それによって完成された絵は実物が映し出されるという仕組みになっていることで、メイキング的な側面もあるのだ。
ベトナム戦争の時代になると、多くのカメラやテレビカメラを持った戦場カメラノンが多く戦場に出向くようになり、死体だらけの悲惨な現状が、今の時代のコンプライアンス概念では考えられないぐらいに、普通に映し出されていたわけだが、それ以前というのは、カメラというのは、まだそれほど一般化していなかった。
あったとしてもプロパガンダとして使わることも多い中、リアルに体験した者の書き記された文章や今作のような絵は、その現状を知る手段のひとつとして、今も歴史的資料となっていることが多い。
風刺漫画というと、政治家や戦争をコミカルに描いていて、1800年代からすでにあったものであるが、近年の風刺画家は、例えば戦争であっても体験したというより、想像やテレビ、新聞、今であればウェブなどの情報を元に絵描かれることが圧倒的に多いが、ジュゼップの描く風刺画は正に自分の目で観て、体験したものが反映されているという点でも重みがかなり違っている。
普通のデッサンや一枚絵であれば、その描かれている被写体がどんな人物だったかを読み解くことは難しい。
しかし、風刺画という形態によって、その人物の人間性を浮き彫りにしているのだ。
クロッキーのソフトなタッチでありながら、そこに映し出される戦争の悲惨さというのは、決してソフトなものではない。
ただ、いろいろと暗示的で分かりづらく、チグハグな作品だったと思う。
収容所のシーンは、単調で眠りを誘う(自分は寝てしまった)。セネガル兵の立場も、あいまいだ。
時々、本物のバルトリが描いたと思われる絵が出てくるが、脈絡がなく、どこからどこまでがバルトリ作品なのか分からない。
フリーダ・カーロの登場シーンはガッカリだ。内容がなく付け足しレベルであったし、フリーダが妙に壮健だ。また、トロツキーの話は、必要なかったのではないか。
一番の難点は、憲兵セルジュの視点で進むことだろう。
監督は、バルトリはスペインの共和国兵士であるため、勝手な創作による僭越を避け、同じフランス人の架空の人物に語らせたらしい。
しかしそのために、バルトリを主人公としながら、バルトリが何を考え、何を描き、どう行動したかが分からず、観客は置いてけぼりになり、充実感も得られない。
そこを想像をたくましくして、解釈し提示することこそが、創作映画の役割ではないだろうか?
思うに本作は、映画「ジュゼップ」と言いつつも、強制収容所という、自国フランスの“闇の歴史”についての“贖罪”の映画にちがいない。
バルトリは題材に過ぎず、本当の主人公は憲兵セルジュであり、フランスそのものかもしれない。
フランスの極右にとって好ましいはずはないし、日本で作られれば、某元首相が「反日」と表現し、街宣車が騒ぎ出すのだろう。
静かな炎が燃えている作品である。
実在の画家ジョゼップのデッサンを生かした描画にしたとのこと。なるほど!確かに魅力的でした。
実在の画家のフィクション・ストーリー。でも、物語背景などは史実ですかね?難民収容所については知りませんでしたが実際あったのですね。多分、ここで描かれることは実際にあったエピソードなんでしょうね。どうして人間は強い立場になると弱者を痛めつけたくなるんでしょうね。人間の根本は一緒なんでしょうね。皆、そうなれる。スイッチを入れるかどうか?の話ですかね?
本作は画家を中心に進行しますが、基本は憲兵目線のフランス人のお詫びなのかな?過去を明らかにして罰を受けるような物語だったかな。
世界的に差別反対の機運が高まる中、過去の暴挙を明らかにして意識を高める意味はあるのかもしれませんね。
ただ、印象に残っているのは憲兵の行動だけってのは残念ですね。フィクション部分のストーリーがイマイチだったかな?
ちと残念です。
避難先のフランスの強制収容所で難民となった
画家ジュゼップ·バルトリ
愛する人との再会を胸にどんな現実も描くことで
生き抜いた男の感動の実話
イラストレーターとして活躍するオーレル
ジュゼップが収容所で記した
鮮烈なスケッチに触発され
10年の歳月を費やして完成させた
長編アニメーション監督デビュー作品
ジュゼップバルトリ (1910-1995)
実在の画家の人生を
ジュゼップの絵
記憶の断片を繋いだような映像を通して
フランス側の看守だった男(お祖父さん)が
孫に伝える
画家ジュゼップを知らなかった
スペイン内戦時の葬りさられた歴史
#フリーダカーロ (1907-1954)
との関係
イラストで描かれた重く苦しい事実
生を感じさせる色彩
美しい曲
とても魅了される作品でした