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彼女たちの話 プロット 日本 08月13日 2022 劇場で
彼女たちの舞台 プロット フランス・スイス合作 02月01日 1991 劇場で
彼女たちの関係 プロット フランス 09月28日 1996 劇場で
彼女たちの時間 プロット フランス 11月09日 2002 劇場で
海辺の彼女たち プロット 日本・ベトナム合作 05月01日 2021 劇場で
彼女たちの革命前夜 プロット イギリス 06月24日 2022 劇場で
モロッコ、彼女たちの朝コメント(20)
内なる優しさはひしひしと感じるものの、それを表現せず、サミアを心から受け入れている様子は無いアブラ。
そんな彼女に戸惑いつつ、妊婦であっても何か役にたとうと動き出すサミア。
そんな2人が少しずつ、しかし確実に心を通わせていく様が美しい。
モロッコでの独り身の女性の生きづらさや産まれてくる子どものこれからの話等、色々と考えさせられる。
それでも、本作でワタクシが深く惚れ込んだ要素は、やっぱりアブラ!
表情1つで強さと寂しさの相反する人格を表現する様は見事!!かと思えば、スリマニの思いに戸惑ったりする様はとても可愛らしい。
イメージに反して比較的あっさりとサミアを家に入れたのも、哀しい経験や独りの女性の生き辛さを知ってたからなのかな。
後半はサミアの物語。自身の状況から、産まれてくる子どもをどうするか・・・。辛い現実に直面しつつも、彼女が下した決断は・・・!?
サミアの物語も良かったけど、個人的にはアブラ1本に焦点を当てたストーリーも見てみたかったかな。妊婦を助けることで心を取り戻した女性が、新たな幸せを見つけるとか・・・ベタですが。
あと、最初は絶対にヤバいやつだと思ったスリマニが、見れば見るほど愛らしい(笑)
序盤のサミアには、立場わかってるの!?・・・とツッコミを入れてしまったが、登場人物皆の素晴らしい演技に魅了された、思いがけない名作だった。
BGMも殆どない静かな中、表情で客席の感受性を揺さぶる業の数々に脱帽です。
ただ、ひとつだけ分からなかったのは、家の前で泥棒だどうだとガチ喧嘩してるのを皆で仲良く並んで笑って見てたが・・・あれ笑うとこなの(笑)??
舞台となっているのはほぼアブラの家の中だけ。ポスタービジュアルに滲んでいるような明るさもほとんど映らない。直接描かれないものの彼女達の周りにあるのはイスラム教世界に漂う無慈悲。シングルマザーのアブラもこれから未婚の母になろうとするサミアもそれがどうにもならないことを知っているからこそ子供達が自分よりも幸福になることを何よりも願っている。それゆえにサミアは頑なにある決意にしがみつく様がどうしようになく痛々しいです。マリヤム・トゥザニ監督は家族で未婚の妊婦の世話をした思い出を元に本作を撮ったとのこと。誰にも語れない過去を持つサミアに無邪気に絡みこれから生まれてくる赤ちゃんに興味津々のワルダの姿は当時の監督自身の気持ちがしっかり滲んでいるように見えました。凄惨な描写もない地味なドラマですがそこに漂う不穏な空気がしっかりと捉えられた力強い作品です。
を、想像していたら、まったく予想を裏切られた。良い意味で。
暗い室内のシーンが中心。BGMはなく、主人公の息づかい、声にならない嗚咽。深く、厳しい眼差し。頑なな心が溶け出した、かすかな微笑み。
そんなシーンが丁寧に描かれる。
分かりやすいストーリー展開を期待したのが恥ずかしくなる。女たちが背負う過去もほとんど説明はされない。ひたすらに彼女たちの表情を追う。
ラストシーンは何を意図したものか。彼女の最後の表情から見る人それぞれが見いだすのだと思う。
本作品の臨月に近い妊婦サミアは、そのことを本能的に知っていたのだろう。名前をつければ即ち自分の子となり、乳をあげれば即ち母となる。そして離れ難い愛著が生じる。産んですぐに養子に出せば、愛著が生じる前に別離ができる。産んだ子の存在を忘れ、産んだこと自体も忘れ去れば、安楽な日々が待っているだろう。
一方、サミアを泊めてくれているアブラは、事故で亡くなった夫の面影を忘れることができず、悲しみから抜け出せずにいる。サミアはそのことを敏感に感じ取り、夫の楽しかった思い出の歌を無理やりアブラに聞かせ、夫の悲しい思い出を楽しい思い出に塗り替えることで、愛著から脱して未来に向かわせようとする。
しかし死んだ夫の思い出と生れたばかりの赤ん坊に対する愛著は別のものである。無垢で弱くて親だけが頼りの赤ん坊は、母親にとって狂おしいほど愛しい存在だ。抱えて乳をあげれば生命の絆に至福の喜びを感じる。そうなると、もう離れることなどできない。サミアは母の本能を意思の力で押さえつけることができると信じていたようだ。
アブラはサミアよりも年上で、世の中を知っている。赤ん坊を人買いに売れば、数年後には性的なおもちゃにされて商売道具になることが目に見えている。そんなことは絶対に駄目だと、今度はアブラがサミアを諭す。アブラはもともと、妊婦が街角で顫えているのを放っておけない温かい心の持ち主なのだ。
本作品は二人の女性が互いの苦しみを理解し合い、手を差し伸べ合うヒューマンドラマである。モロッコ映画を観た記憶があまりないが、本作品は人間愛に満ちた優しい映画だと思う。
現実では、産んだばかりの子供を母親がゴミ箱に捨てたという事件は世界中で起きている。育てるのが経済的に無理か、男と過ごすのに赤ん坊は邪魔というのが理由の大半だ。名前をつけたり乳をあげたりする前に捨てているのだろう。
カサブランカの街の様子は、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの映画とは随分違って見えた。北京の胡同みたいに路地が入り組んでいる。藤田ニコルによく似た子役が可愛い。小麦粉の件は解決を見なかったがどうなったのだろうか。
原題は「Adam」である。サミアは最初から赤ん坊を人買いに売り渡す気はなかったようだ。