インドネシア・ラマレラ村で、伝統の捕鯨を400年間続けながら暮らす人々を捉えたドキュメンタリー。インドネシアの小さな島にある人口1500人のラマレラ村。住民たちは互いの和を何よりも大切にし、自然の恵みに感謝の祈りを捧げ、言い伝えを守りながら生きている。その中で、「ラマファ」と呼ばれるクジラの銛打ち漁師たちは最も尊敬される存在だ。彼らは手造りの小さな舟と銛1本で、命を懸けて巨大なマッコウクジラに挑む。2018年、ラマファのひとりであるベンジャミンが捕鯨中に命を落とした。人々が深い悲しみに暮れる中、舟造りの名人である父イグナシウスは家族の結束の象徴として、伝統の舟を作り直すことを決意。1年後、彼らの舟はまだ見ぬクジラを目指して大海へと漕ぎ出す。ライフワークとして30年間ラマレラ村の人々を追い続けてきた写真家・映像作家の石川梵監督が、2017年から19年までに撮影した映像を基に制作。自然とともに生きるラマレラ村の人々の日常を、繊細かつ臨場感あふれる映像で描き出す。
くじらびとコメント(20)
水中映像、ドローンを使った空中映像と船の上からの映像と音声をあわせた鯨漁のシーンはものすごい迫力でした。暴れる鯨が舟にぶつかる鈍い低音が本当に恐ろしかった。
人間と鯨、両方への慈愛を感じられる映画。何を感じて、どう思うかは人それぞれでしょうが、できるだけ沢山のメッセージを汲み取りたいと思いました。
私は最初の方の村の入り江のドローンの映像で20年前の朝ドラ、ええにょぼ(戸田菜穂、的場浩司)の舞台にもなった丹後半島の船屋の集落、伊根を思い出しました。江戸時代以前から木造船による鯨漁が行われていたところです。伊根の郷土資料によると270年間で捕ったクジラは350頭です。湾内に入り込んだクジラを総勢100隻の舟で捕ったそうです。クジラ銛での漁。この映画との違いはモリで刺されて弱ったクジラを網で包囲して取り込んだこと。やはり、網や綱に身体が絡んで死んだ漁師もたくさんいたらしいです。捕ったクジラは神社でちゃんと供養しています。
クジラが捕れると藩の役人が来て、クジラの長さに応じた年貢を課して行ったそうです。村人は測定する巻き尺に細工をして、少しでも多く年貢を取られないようにしました。お役人も分かっていて、見逃したそうです。この地区は年貢を鰤で払い、自分たちはへしこ(鯖の塩漬け)を食べて耐えていました。のんべのかたはアテに一杯やったこともあるかと思いますが、本当にしょっぱい。
そのほかにも鯨やイルカ漁をしていたところは昔から日本にはたくさんあったと思います。
この映画の村落はひとつの共同体です。船の先端で銛(モリ)を突く男(ラマファ)は特別な存在で、子供から憧れの的、ヒーロー。1500人の村人みんなから頼られていますが、命の危険と常に背中合わせ。八丈島や三宅島などでのカジキマグロのつきんぼ漁で船の先端で銛を撃つ男も憧れの的でした。古くから世界中にある伝統漁法です。
クジラを絶滅の危機に追い込んだ大型船団での捕鯨は油を取ることが主目的の商業捕鯨。そこには命に対する敬意なんかなかったでしょう。アジアの共生的文化は本当に豊かです。ごはんの前にお祈りの歌を歌いたがるエーメンの妹イナがとても可愛い。仲のいい家族にもたくさん癒される映画。マンタ漁で命を落としたベンジャミン。喪が明けるまで皆漁に出ない。村人全部が家族のよう。なにより「和」を重んじる考えが浸透している。弱いものに分け与えることになんの不自然さもない。素晴らしいです。この村には警察なんかいらないなぁと思いました。謙虚に自然の恵みに感謝して生きている彼らを心から敬います。「海の番犬」とみずから名乗る反捕鯨団体は自分達が狭量で片寄った行動を高慢な態度で行ってきたことを心から恥じてほしい。多様な生き方や文化を否定することのしっぺ返しは回り回ってやって来るはずです。
村の暮らしや壮絶な狩を、まるで体験するように観ることが出来る。解説の無さ、音響の凄み!
それらを通して浮かんでくるのは、
生きるってほんとは、こういうことだったのかな…
共に生きるの本当の意味って、こういうことなのかな…
ということでした。
劇場で観られるうちに、大きなスクリーン、出来たら最前列ど真ん中で観てほしいです、
捕鯨と言えば寒いところと思いきや、インドネシアであるんですね
一人の子供にスポットを当ててるようだったので、その成長を描くのかと思いきや外れました
船づくりの苦労や鯨が捕れない捕れない時の暮らしも欲しかった
でも、捕鯨シーンは圧巻!
これだけでも大画面で観る価値はあるでしょう
現地の人?がスマホで撮ってるのが、?でしたが・・・・・
*途上国は無線しかないのでスマホが普及している