時をかける少女(2006)
プロット
日本
07月15日 2006 劇場で
タイム・ガーディアンズ 異界の魔女と時をかける少女
プロット
ロシア
03月26日 2021 劇場で
男が命を賭ける時
プロット
日本
12月27日 1959 劇場で
女が階段を上る時
プロット
日本
01月15日 1960 劇場で
男が女を愛する時
プロット
アメリカ
09月03日 1994 劇場で
愛にかける橋
プロット
中国・オーストリア合作
05月29日 2004 劇場で
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時をかける少女コメント(20)
大林版で原田知世が演じた和子が大人になり、あるキッカケから深町一夫との約束を思い出す。そんな時に事故にあった和子は、自分が開発したタイムリープをするための薬を娘・あかりに託し意識を失う。あかりは過去に行って母との約束を果たせば、母の意識が戻ると考えて、過去へと向う……。
圧倒的に娘・あかりを演じた仲里依紗の存在感だけで成立している。
『時をかける少女』といえば、細田守監督がアニメ版として見事に再構築しているわけだが、本作は、そんな細田版のような作品的な面白さはない。その細野版で主人公・真琴の声優を担当し、視聴者に強烈な印象を残した仲里依紗に、実写で『時かけ』を演じさせるためだけに企画されたんだろう。
細野版は、大林版の設定をあまり借りずに、むしろ筒井康隆の原作から設定を借りて、現代的でかつ細野監督オリジナル構成の『時かけ』を作り出したのだが、本作は、大林版をベースにし、その後の世界が主人公の住む世界という設定だ。そこから1974年(和子が深町と出会った2年後)にタイムリープする。ところが、設定が大雑把すぎる。そもそも、冒頭で和子がタイムリープの薬を完成させるんだが、なぜそんな薬を開発する事になったのか、どうやって開発したのか、全く不明のままだ。そこからして雑過ぎる。その後も、設定や構成が雑のまま過ぎて行く。これが、細野版の前に製作されていれば、まぁ悪くなかったんだが、細野版の後でこんな『時かけ』を見せられても、どうにも微妙な気持ちにさせられる。
もっとも、大林版も設定や構成はかなり雑(というか難解)で、あの作品も原田知世ありきだったのだから、本作が仲里依紗の存在感だけであったとしても、それはそれでアリなんだろうと思う。
正直ラストまではあまり面白くなかったです....仲里依紗と中尾明慶のやり取りの甘酸っぱさにキュンとするところもありますが、それぞれの登場人物の背景や思いがあまりよく分からず気持ちが入り込めませんでした。結局母親は事故で死にそうな時に何をしたかったんでしょうか?
細田版からオリジナルの要素を活かしつつも違うストーリーを構築させようとしている潮流。この作品でも改変というよりアナザーストーリーといった雰囲気で、芳山くんの娘のタイムトラベル恋愛を描いている。タイムリープした先で出会った映画監督志望の大学生・涼太に手伝ってもらい、なんとか深町一夫を探すことになった。2010年から来たと言ってもそれほど驚いた心理描写もなく、もしかすると既に死期を察していたんじゃないかと思える節もあった。吉田拓郎や、『海底大戦争』、ブルース・リーのポスターなど懐かしいグッズもさることながら、登場する懐かしい車など、かなり凝っていると感じる。リアル神田川のカップル、“ウケる”という言葉が通じない・・・サイケなヒッピーの恰好はちょっと時代が違うと思うが・・・
1974年に高速バスで38人が死亡という事故があったという設定。絶対、後半に絡んでくるとは思っていたけど、途中で忘れてしまっている。そう。この“時かけ”は記憶や忘却という動物の本能が見え隠れする映画なのだ。深町=ケン・ソゴルは例外に洩れず、この映画の主人公の記憶を消そうとするのであるが、あかり(仲)は好きになったオタク大学生が秋田行きのバスに乗り込むのを何とか止めようとするのだ。しかし、「未来から来た者は歴史を変えてはならない」とルールに忠実なケン・ソゴルに邪魔され、彼女は記憶を消される・・・そして撮った8ミリ映画のフィルムをあかりのポケットに忍ばせる優しさも見せる。まぁ、これがノスタルジックな雰囲気を盛り上げるんだけどね。
もう一つ、涼太の相棒カメラマンが芳山母子から去った実の父親だったということも伏線として存在するが、ここはもうひとつ脚本をひねってほしいところか。