サラーム・ボンベイ!
プロット
インド・イギリス・フランス・アメリカ合作
03月17日 1990 劇場で
ニュー・シネマ・パラダイス
プロット
イタリア・フランス合作
12月16日 1989 劇場で
家族シネマ
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韓国
10月02日 1999 劇場で
ホラー・シネマ・パラダイス
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アメリカ
01月24日 2015 劇場で
セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ
プロット
アメリカ・フランス合作
01月01日 2022 劇場で
それぞれのシネマ
プロット
フランス
05月17日 2008 劇場で
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サラーム・シネマコメント(1)
https://www.youtube.com/watch?v=QpMNldmdiak
という音楽の聞こえる中に、人がパレードのように集まっている。何が起きたのかと思い画面を見つめていると、映画俳優のオーディションのようで、一般公募なんだけど、なぜ、こんなに人が集まってくるのか理解できない。それも、男女の服装を見て、イラン革命後だとわかる。ホメイニが来るので一目会いたいのかと思ってもいい。 革命後のイラン映画の役割? 映画は神を賛美する映画に規制されているはずだが?なぜこんなにたくさんの人が映画に出たいのか?それとも映画スターになりたいのか?イラン革命の第2の波ようだ。
そのうち、若い頃のモフイン監督が登場して、役者候補をインタビューし始める。急に泣けとか言うが状況作りをしてないのに泣けるはずがないと思うが?これが巨匠モフセン監督の人材開発の方法かもしれないし? You are both the subject and the actors in the film,”なんか画家がキャンパスに描くヌードモデルのような気がした。
彼が以前言った言葉を覚えている。イランの文化を知っている人は映画の一瞬のシーンなどが文化を示しているので、共感(反感?)すると言うようなことを。イランの映画熱。監督は検閲があっても、映画をつくる。よく子供を使って言いたいことを表すようだ。はっきり、明確な目的を持っていないようだが、その作品はなにか秘めていて言いたいことがあるらしい。イラン映画では(私の経験から)男女ともに自分の意見をはっきりいう。最後まで、食い下がり、自己主張をするので、たくましく力強いから、観ていて勇気をたくさんもらうう。
しかし、この映画ではオーディションを受けている人たちは操り人形のようである。モフセン監督はホメイニのようにわたしの目に映り、オーディションに来た人々はイラン国民のホメイニに従う人々のようだ。映画監督が自分の立場を利用して、人々を左右している。泣け、泣け、笑え、笑え、のシーンだが、これができるのが俳優だ(俳優になれる)と監督の自分を主張を押し付けているのが忌々しかった。あとは、人道主義者と芸術家のどちらを選ぶかとか。これは映画だ。だから、残酷だとか監督が言うが、何を目的でそう言うのか、オーディションを面白がっているのか(?)実に、不快にさせる作品だった。