まぼろし
プロット
フランス
09月14日 2002 劇場で
まぼろし天狗
プロット
日本
08月12日 1962 劇場で
まぼろしの邪馬台国
プロット
日本
11月01日 2008 劇場で
醒めてまぼろし
プロット
日本
02月26日 2021 劇場で
アリスとテレスのまぼろし工場
プロット
日本
09月15日 2023 劇場で
ドーラとまぼろしの生き物
プロット
アメリカ
12月15日 2023 劇場で
このサイトは、映画のポスター、予告編、映画のレビュー、ニュース、レビューに関する総合的な映画のウェブサイトです。私たちは最新かつ最高の映画とオンライン映画レビュー、ビジネス協力または提案を提供します、私達に電子メールを送ってください。 (著作権©2017-2020 920MI)。メール
まぼろしの市街戦コメント(18)
この作品は、物語の基盤となるアイデアの素晴らしいこと。そして演出に、戦争をする連中を馬鹿にしたかのような皮肉を込めた視線があること。そして、ストーリーテラーのような役割をする、街を救いにきた一人の兵士の存在、と、いろんな意味でメリハリの効いた内容なのが、この作品の面白さだ。そして、精神病院の患者たちを演じた役者たちが、製作当時のフランス舞台界の名優ばかり、という点も作品の恪をグッと上げている。
戦争映画でありながら、一遍の優れた童話のような、爽やかな読後感があるこの作品は、今一度再評価されてもいいと思う。
ようやく観ることが叶いました
それも4kリマスターの鮮明な映像と色彩、明瞭な音声、音響で堪能することが出来ました
これこそ名画座の果たすべき役割と劇場と関係者の皆様に感謝です
内容はもちろん正気であったのは果たして誰であったのか?です
ベトナム戦争の悲惨な状況に厭きていた70年代はじめの米国でロング上映になったのもむべないことでしょう
戴冠式で公爵が王に言います
世界は舞台であると
そしてあまりの狂気の果てに芝居は終わりだと告げます
人は誰しも自己の役割を演じて生きています
父として、母として、責任ある役職として、軍人として、あるいは娼婦として……
そしてその役割の中で自己とのギャップに苦しむものでもあります
あまりの過酷な現実が、あなたに求められる役割像が怪物のようになった時、あなたは耐えうる事が出来るのだろうかと問うてくる
そんな作品でもありました
本作を観てふと思い出したのは銀座や北新地の高級クラブで綺麗なホステスさんと疑似恋愛を楽しむお金持ちの紳士たちのこと
彼らがその財力で外車やマンションの鍵をプレゼントするという狂気
それは本作の物語とどこか通ずるものがあると思いました
そしてわかった気がしました
彼らはその狂気を楽しんでいたのです
その恋愛ごっこの狂気を完璧なものにするために散財をしていたのです
私たち普通の人間にはそのような散財をして人間性を保つだけの財力はあるわけもなく、いかにそのギャップのストレスに耐えるのか?
それが昔とは違うとても密度の濃い仕事を強いられている21世紀の現代人こそ求められていることではないでしょうか?
本来の自己の姿に自然であること
それは人間の本当の幸福の姿であるはずなのです
それが本作の現代における意義ではないでしょうか
フランス映画なので予告を見たら面白そうだったので、映画館に足を運びました。
これは、大人のファンタジーですね。
有名なカルト傑作らしい、私は全然知らなかったけど。
後から思い返してみて、いろいろ気づくところがありました。檻があいているのに出ていかないライオンとか。