パンと植木鉢 プロット

撮影現場で交錯する出演者の心の変化をドキュメンタリー風に描き出す野心作。監督・脚本・編集はモフセン・マフマルバフ。撮影はマームード・カラリ。音楽はマジド・エンテザミィ。出演はミルハディ・タイエビ、アリ・バクシほか。

パンと植木鉢 俳優

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パンと植木鉢コメント(2)

Sgpokmhxsin
Sgpokmhxsin
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「パンと植木鉢」この不思議なタイトルの意味が解るのには、ラストカットまで待たなければならない。
20年前、反体制活動をしていたマフマルバフ監督が、警官をナイフで刺してしまった事件を描く自伝的作品だが、ドキュメンタリー風を装いながら、登場人物の様々な思惑が互いに通じ合わないオフビートなメルヘンになっている。
自分を刺した監督に恨みを持っているはずの元警官が、何故この映画制作に携わろうと思ったのか?この元警官の言動がストーリー展開の鍵を握ることになる。彼はこの映画がきっかけとなり、20年前、あの事件の直前に自分に時間を尋ねた少女の消息が分かるかもしれないと思っているのだ。彼はあの時少女に渡しそこなった植木鉢の花を、この映画の中で今度こそ渡したいと思っている。このように演技(虚構)である映画撮影に、役者本人(役としてではなく)の想いを乗せたり、オフショットであるはずのシーンが突如20年前の回想シーンとして展開する二重構造がとても面白い。
ナイフをパンに隠しつつ殺気立つ監督と、植木鉢を片手に恋に浮かれる警察官の落差、若い頃反体制という大きな志の元、体を張って闘っていた監督世代と、理想論だけを語る現代の若者たちとの落差。様々な野心や欲望を見せる大人たちとは異なり、少年たちの何と素直で純粋なことか。花が凍らないように植木鉢を陽だまりに置くような優しい少年たち。自分が恋をしていた少女が実は監督の仲間だったことにショックを受けた元警官が、自分役の少年に植木鉢を渡すのではなく銃で撃てと命令するも、少年は「人を撃つことは出来ない」と拒む。また、監督役の少年も、人をナイフで刺すなんて人類の救済として間違っていると本番前に号泣してしまう。
こうして迎えるラストシーン(監督が警官を刺すクライマックスシーン)、セピアがかった早朝の回廊でチャドル越しに言葉をかける少女の美しさはまるで童話の1ページのよう。少年たちの意識が1つに交わる時、差し出されるのは「ナイフと銃」ではなく「パンと植木鉢」。このポエジーなラストカットが示す「ラブ&ピース」が、いつか本当に人類の救済に役立ちますように・・・。
uhjrfbi
uhjrfbi
若い時をまっしぐらに生きた監督。それをもう一度描いてみようと映画にしても、同じようにいかない。若い頃、人類平等の革命に燃えていた監督は自分の意思を遂行したけど、世代の違う若者は同じ感覚ではなく彼のようにはなれない。監督の若き時代はナイフとピストルでも、若者は食と植物である平和のシンボル、`パンと植木鉢という平和主義?

モフセン監督の十代の設定で、当時を再現するという構成は実にユニークで面白いが、もう時代背景が全く違う。老人が『今の若者は』というが、それと同じ。

モフセン監督が十代の時といえばシャーの時代だから、その後、この映画を撮っている時には明らかに、イスラム原理主義が強くなって、コーランを中心に社会規範が出来上がってきていると思う。シャー時代の若きモフセインは時代的に社会革命を望んでいた時代だ、天皇シャーの追放革命のあと、ホメイニをヨーロッパから呼んで、リーダーにしたわけだから。

イスラム教の浸透で善悪の違いは明確に教えられ、たとえ、映画撮影で本当のことでなくても、若者の心の中にはモスク、学校教育での教えはここで現れていると思う。しかし、警察官(モフセン監督に、映画に出たいと申し込んだ当時刺された警官)は革命時代の人だし、元警察官。花をあげようと思っていた女性が、それが、モフセンの仲間であると分かれば憎しみにつながるかもしれない。

今ここでモフセンの歴史を検索してみよう。推測だけで話してもあまり意味がないと思うので。どう調べてこう決定されたかか定かでないがFlickchartではこの映画がモフセンの中でベストにあがっているが、理解できない。1979年の2月にシャーが追放されている。モフセン監督はそのまえの、シャー権力の横暴、浪費、欧化主義などに反対する人々の一人だったと思う。反体制派で警察を刺すとという内乱分子の一人だったようだ。

この映画でいくつか気になったことがある。まず。路上で子供と物乞いをしている女性がパンをもらったら、メルシーといったが監督はフランス語を使うなといった。彼女も役者で、当時はシャーの時代で、原理主義との端境期だからフランス語はつかってもいいように思えるが、モフセン監督はシャーを倒そうとしていたから、だめだという言葉を使ったとおもった。

他に、1979年以前の状態を映画にしているんだったら、女性全員がブルカを着用していただろうか? 革命が1979年だから、ホメイニ体制に入っていいないのにおかしいなあ?