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ハーヴェイ プロット アメリカ 02月22日 1952 劇場で
ミルクのお値段 プロット ニュージーランド 02月16日 2002 劇場で
悲しみのミルク プロット ペルー 04月02日 2011 劇場で
ミルクの中のイワナ プロット 日本 04月05日 劇場で
ハーヴェイ・ミルクコメント(4)
という格言があるが、ミルクのいた時代。サンフランシスコには本当に怒るべきことがあった。
彼は腕っぷしが強いわけでもなく、財力や権力があったわけでもない。
でも本当に怒るべきことから逃げなかった。
ダイバーシティという言葉が飛び交う今こそ見てほしい映画。
この映画をちょうど見た後にサンフランシスコにいったが、あの通りを見ただけで涙が止まらなかった。
ムーア監督も大好きだが、どうしても皮肉屋の一面が強く出る。
対してこの映画は、純粋に「ねえ?まちがってない?」を問いかける真摯さにあふれた映画。
映画「ミルク」上映のためのリバイバル上映、ドキュメンタリーの「ハーヴェイ・ミルク」
実はミルクはまだ見ておらず、なんの予備知識もない状況で鑑賞
内容はドキュメンタリなのだけれど、時代と、国と、状況と、ハーヴェイミルク本人の人生が壮絶で、死んだ後も壮絶で、まさに、事実は小説より奇なり。
ドキュメンタリだし、当時の映像をそのまま使っている(あたりまえか)のだけど、映像も音楽も、幻想的にすら感じた。
「ミルク」が見たくなった。
ちなみに「ミルク」も両方見た友人によると、「どちらも見ると、3倍感動する」そうな。
エプスタインはの人物ドキュメンタリーは、関わった人々へのインタビューを細かく積み重ねて、しかも視点がぶれないことで知られているが、この「ハーヴェイ・ミルク」でも同性愛者たちや移民者たちなどのアメリカのマイノリティーたちにたった目線を大事にしている。
それを強く感じさせるのは、ミルクが暗殺された以降、つまり映画「ミルク」のラストシーンのあとのあまり語られていない部分だ。暗殺した犯人の裁判が、いかにもミルクとは反対側の立場の者たちばかりで裁かれ、暗殺者に有利に展開したことを、エプスタインは批判的な目でとらえている。そこには、ミルクが懸命に努力してきた「人権」を守ることができているのか、という国家への疑問があるからだ。
その意味では、この作品が完成してから25年も経過している現在のアメリカ、そして現在の日本で「人権」が守られているのかどうか、この「ミルク」と「ハーヴェイ・ミルク」の両方を観ると心配にもなってくる。アメリカは前政権がキリスト教一派から支援されていたこともあって、同性愛者たちへの理解が薄かったらしい。一方、「ハーヴェイ・ミルク」の裁判の様子を見ると、日本のこれからの裁判員制度で果たして、犯罪の被疑者と被害者の人権が守られるのかどうか、とても不安にも思えてくる。我々は、この両作からもう一度、「人権」についてキチンと考える力をもらうべきではないだろうか。
本人もゲイであるが、なかなかカミングアウトできない世相を変えた男。初の執行委員という偉業もそうだが、保守派の反発も凄いものだったと想像できる。なにしろ遺言には「暗殺されたら・・・」という言葉から始まるのだ。
暗殺後はカミングアウトする人が逆に増えたりする現象もあったが、評決は誰も納得しないもの。一人の証言者に「市長だけを殺していたら終身刑だったかもしれないが、ゲイを殺しても社会のためになるだけ」という言葉があった。それほど同性愛に拓かれてない時代。民主主義とか銃社会の問題よりも人間の尊厳という問題がずしりとのしかかる。懲役も5年ですむのか・・・ううむ。