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蜜がいっぱい プロット イタリア 07月08日 1970 劇場で
魔女がいっぱい プロット アメリカ 12月04日 2020 劇場で
殺人がいっぱい プロット 日本 07月13日 1991 劇場で
危険がいっぱい プロット フランス 06月13日 1964 劇場で
太陽が知っている プロット フランス 04月26日 1969 劇場で
スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい プロット アメリカ 05月12日 2007 劇場で
太陽がいっぱいコメント(20)
昔、何度も観たのに、犯罪の詳細な手口を覚えていなかった。幼心にも、「怪人二十面相でさえ完全犯罪は出来ないんだからアラン・ドロンでも無理だよ」と冷めた気持ちで観ていたはずだ。不思議なもので、無理だとわかっているから映画では応援してしまう不思議な感覚に陥ってしまう。せめて捕まる前にマルジュと恋仲になりますように!と。
コロンボのドラマのように完璧な刑事が登場するわけではなく、マルジュと書かれたクルーザーのスクリューに死体を結びつけたロープがからまって、「太陽がいっぱいだ」とくつろいでいるアラン・ドロンのもとへその刑事たちが・・・というラストが最高。
映像やカットの古さは否めないのですが、名曲にのせて、ナポリの温かな風や潮の香りまでもを体感するようでした。CG世代の方には物足りないないのかも知れませんが、作られた押し付け感ではなく、自らが感じとる感覚を楽しむのが古い映画の鑑賞のしかただなと思いました。アランドロンは貧乏な青年役でしたが、美しすぎて貧乏に見えないんですよね、、そこがちょっと。ラストシーンは思いがけない結末です。とても怖い映画でした。
女性は皆、アランドロンの虜になります。青い瞳が忘れられなくなりますよ。
「トムをボートに押し込めて、船で引かせる”島流しごっこ」なんて、彼女のマルジュ曰く「冗談には度が過ぎる!」。
そんなやんちゃなフィリップ。お金も彼女も持っている。フィリップをアメリカに連れて帰ればトムは貰える5,000ドル。なのにいつまでも遊んでばかり。ムッカー。
マルジュが喧嘩して船を降りたのをいいことに、犯行に及ぶトム。ここで尺は1/3。さあどう話を進めていくのだろう?と頭の中が疑問符でした。
フィリップになりすますトム。え、変装でもするのかと思いきや。
銀行やホテルが本人と確認するのは、「パスポート」。
なるほどねえ。それがまた巧みに偽造するのが頭いいんだわ。
そこから銀行口座の預金を引き出したり、うまくいくと思いきや。
フィリップの友人で、トムも知人の男がホテルにやって来たり。
警察もやってくる。事件が事件をよんで、それを交わしていくトムの行動が、もう見ててハラハラ。一難去って、また一難。
警察は笑顔でトムにこういいます。
「なんだかおかしい。僕は鼻が利くんです」と。
なんだこのまま終わるんかいな、と思ったとたん。
「ぎえーーー」。両腕鳥肌立ちまくりのFin。
これが私が生まれる前の名作「太陽がいっぱい」だったのかー(リメイクも観てない)。
当時25歳頃のアラン・ドロン。時折見せる鋭い目が印象的でした。
ストーリーも面白し。
ただ、トムがフィリップに成り済まして行動したことは捜査すればすぐ見破られそうな気もするが、そこは現代の感覚とは違うのかな。
主人公はメチャメチャのワルではなく、ふつうにその辺にいそうな男。(といっても殺人を犯して平静なのだからかなり軽薄な人間なのは間違いない!) しかも、誰のせいでもなく自分の詰めの甘さが原因で幸福の絶頂の瞬間に破綻してしまう。このあたり人間臭く、愛嬌がある。