シベールの日曜日 プロット

フランスの作家ベルナール・エシャスリオーの小説「ビル・ダブレの日曜日」を短編映画「微笑」のセルジュ・ブールギニョンとアントワーヌ・チュダルが脚色し、ブールギニョンが監督した記憶喪失症の青年と少女との純愛ドラマ。撮影は「生きる歓び」のアンリ・ドカエ、音楽は「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャール。出演者は「ハタリ!」のハーディ・クリューガー、新人子役パトリシア・ゴッジ、「ラインの仮橋」のニコール・クールセル、ダニエル・イヴェルネルなど。この映画はアカデミー外国映画最優秀作品賞、ベニス映画祭特別賞、アメリカ・アート・シアター賞などを受賞した。黒白・フランスコープ。

シベールの日曜日 俳優

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シベールの日曜日コメント(3)

Shpnimgosxk
Shpnimgosxk
極度に純粋化された世界。
そして、この映画の言いたいことは、理解しているつもりの知ったかぶりこそが諸悪の根源である。分かるための努力をしないで、自分は分かってるはずだと決めつけて相手の話を聞かない。理解可能なのに理解しようとしない。そういう態度が最終的に悪として残る。相手を理解する方法は必ずある。単に、分かりにくいだけである。
dkertrz
dkertrz
16歳の時ノーカットのテレビ放送を観て大感激したフランス映画。2年後フィルムセンターで上映があり、いつものように余裕を持って到着すると既に長蛇の列だった。学生時代の短い間ではあるが、フィルムセンターで立見で鑑賞した唯一の経験をする。当時の学生入場料は140円なので立見への不満は無く、そんなことより、この作品がこれほどまでに愛されていることに感動してしまった。

映画については、なんて美しく悲しいストーリーなのだろう。青年と少女の許されない愛の悲劇に涙するしかない、自分の無力さ。映画を観て自分の優しさを顧みることの意味と、優しさだけでは社会は良くならない虚しさや、限界がある現実に苛まれる苦しさが、この映画を忘れなくさせている。

映画好きでまだ観ていない知人らに、この映画の物語を何度も語ったことがある。そして、最後のシベールの台詞を言うときは、決まって涙を堪え切れずに言葉に詰まってしまう。そんな映画です。
Kshgnimspxo
Kshgnimspxo
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VDOにも飽き。DVDにも飽き。ついに今日はVHSを引っ張り出しましたよ。良かったよ、再生出来て。サッカーも一杯あるでよ。ででで。シベールがあるやん....

最初に見たのは間違いなくシベールと同年代の頃。NHKでした。パトリシア・ゴッジの叫びが心に残りました。ピエールがフランソワーズに近づいた理由も、撃たれた理由もよく判らず、マドレーヌとピエールの関係も理解できず。もわ。もわ、っとした。たりめーか...

この年齢になり。原作の内容も知った現在。この、恐ろしいまでに切ない名作について感想文なんて書いておこうかと思いまス。あれ?なんで「す」だけカタカナに変換される?ままま。いつもと違ってPCで打ち込んでるんで。と言うか、PCで打ち込むと早いね。必然的に感想文が長文化します。

まず。原作は「Les Dimanches de Ville-d'Avray」。ヴィル・ダブレーの日曜日。相当ショッキングなダークストリーで、映画とは違っています。犯罪心理、というか精神の異常性を語る上での教材になるくらいに。

以下、原作の設定と内容。
ピエールの本名はピーター。彼にも二つの名前があります。インドシナ戦争には行っておらず、昔はギャングでした。物取りに忍び込んだ建物の屋根から滑落し頭蓋骨骨折。その結果重度の記憶喪失と頭痛に悩まされる事になります。記憶を失くしてからは、"娼婦"のマドレーヌに面倒を見てもらっています。

シベールは親と祖母に見放された10歳の少女。母親は未婚でシベールを産む。面倒を見てもらっている寄宿生学校では、ギリシャ信教に由来する"シベール"ではなく、フランソワーズと名乗っています。

ピエールには、自分でも思い出せない過去がありました。屋根から落ちる事故に遭う前、彼はトゥーロンで別の少女を「殺していた」様なのです。寄宿学校の前でシベールを見掛けたピエールは、彼女が、その少女に見えました。シベールの父親は、彼女を寄宿学校に預けた帰り道でひき逃げで命を落とします。ピエールは、父親の上着のポケットから財布を抜き取って、死体を森の奥に埋めてしまいます。その後ピエールは、シベールの父親になりすまして彼女に会いに行きます。

その後の「二人の世界」は割愛

シベールはピエールには本名を隠し、彼と結婚する時に教えると言っていましたが、クリスマスの夜、自分の本名を書いたメモを小さな箱に入れて、ピエールへのプレゼントにしました。ピエールの意識下の過去の記憶が描写されます。ピエールが沈んで行く湖の底。そこで待っていたのはシベール。その胸に刺さるナイフ。恍惚の表情を浮かべるピエールにシベールが言う。
「運が良いわ。ここの方が好き」
「君はトゥーロンに行ったことが無いと言った(つまり僕が殺した少女ではない)」
「いいえ、私の愛しいピエール。これは私の秘密なのよ」

クリスマスの夜。ベッドで眠りについた下着姿のシベールの胸を凝視するピエール。彼はポケットをまさぐり"ナイフ"を探す。その”ナイフ”を玄関横に置き忘れたことに気づいたピエールは部屋を出て取りに行き、家に入って来たジュアンによって殺される。

この原作の中でピエールは「危険な小児偏愛者」であり「殺人衝動を伴う幻覚症状」を病んでいます。ほとんどサイコパス。

で、これからが本題です。

映画の中では、ピエールとマドレーヌの設定が「インドシナ戦争で”事故”により少女の命を奪ってしまったパイロット」と「看護師」に変更されており、ピエールの過去は全く異なるものになっています。また、ピエールの殺人衝動や幻覚症についての描写もありません。ピエールの過去を知るベルナールが「彼は昔、少女を殺してしまった事がある」との告白から、ピエールは警官によって射殺されますが、原作では「元ギャング仲間が、ピエールがシベールを殺してしまうと、彼の過去の殺人もばれ、ひいてはギャング団の罪もあばかれてしまう」との恐れから、ギャング仲間が自身の手でピエールとマドレーヌを殺害します。

映画の中、ピエールに殺人衝動があったのか否か、が議論の的になっていた作品です。

ピエールの死後、警官に名前を訊かれてシベールは泣き叫びます。
「もう、私には名前なんかないの!誰でもなくなったの!」

ピエールの死で、もう存在しないのと同じだと叫ぶ少女。
大人の心を持った12歳、子供の心の30歳として出会った2人は、徐々に12歳の子供と30歳の大人に戻って行ったようにも見えました。孤独な魂を、互いが救い合う関係。ピエールが死んだ瞬間、シベールの魂も死んだ。

結局、ピエールの殺人衝動が「あった」にせよ、「消えていた」にせよ、シベールにとっては同じことなのであって。仮に、ピエールがシベールの胸にナイフを突き立ててしまっていても。シベールは、それを受け容れたのではないかとも思う。冬枯れたパリの風景の中で、ピエールをリードする12歳の少女の姿が痛いくらいに切なく、胸を締め付ける映画は、ヌーベル・バーグ終末に近い1962年のフランス映画。「救いの無い話は記憶に残る」の俺的法則により。思い出す頻度の高さでは、これが一番の映画です。

あ。

ヱヴァの26話。バカシンジの頬を撫でようとしたアスカも、あれだったりしてね。で、なんでここでヱヴァを思い出すんじゃろw