次郎物語(1955)
プロット
日本
10月25日 1955 劇場で
次郎物語(1987)
プロット
日本
07月04日 1987 劇場で
次郎長富士
プロット
日本
06月02日 1959 劇場で
野菊の墓
プロット
日本
08月08日 1981 劇場で
次郎長意外伝 灰神楽の三太郎
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日本
02月26日 1957 劇場で
トラック野郎 男一匹桃次郎
プロット
日本
12月24日 1977 劇場で
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菊次郎の夏コメント(20)
第2作、3-4x 10月は、監督として撮りたいことのショーケース兼実験作
第3作、あの夏、いちばん静かだった海
第4作、ソナチネ
第5作、みんな〜やってるか!
第6作、キッズ・リターン
第7作、HANA-BI
ここまでは、第2作の3-4x 10月でやってみせたショーケース的な要素をそれぞれ展開した作品だったように思います
本作は、いよいよ北野武監督が初めて取り組む要素に挑戦している作品だと思います
子役を使って、人間性と成長の物語を自分が語れるのか、監督が自分へ挑戦をしているのだと思います
成功したと思います
久石譲の音楽をどう使うかまで最初の構想に入れて注文していたそうです
正男の見る二つの悪夢のシーンは特に心に残る素晴らしいシーンでした
麿赤兒の素晴らしい舞踏、美しい幻想的なセットと照明と撮影
ため息がでました
天狗のダンスも見事でした
正男と菊次郎の二人共に旅を終えて成長して、何かが変わっています
ロードムービーとしての本質を見事に達成していたと思います
正男の青いナップザックには天使の羽の飾りが付いています
ラストシーンで隅田川の橋を走って渡る正男の背中にあり天使が飛び立とうと走っているかのようです
旅で貰った天使の鈴が音を立てています
ちいさくとも教会の鐘です
彼の悲しい気持ち、寂しい気持ちは、救われて天上に登って行ったのです
菊次郎は形を変えて現れた救世主だったのかも知れません
素直に感動しました
無駄な場面や演出が多過ぎます。
音楽と岸本加世子さんは良かった^_^
但し、後の名作「座頭市」に繋がる練習の映画だったのかな。
会ったことのない母に会いに行く。
ちゃんと祖母に確認しなくていいのか?とか、あまりにも無計画で傍若無人な旅に、あきれ、つっこみを入れつつ、ああ、ひょうきん族のノリ?要所要所で、関りになる人が、”芸”を披露してくれて、”浅草芸人”のお披露目のように見えてしまう。
そんな、ちょっと飽きてきたところに、旅の目的の場面があり、ほろっとしたところで、後半。さらにグダグダな展開が続く。
こう書くと目も当てられないような映画に見える
(実際、はまる人ははまるだろうが、万人受けする映画ではない)が、
麿氏演じる怪人が出てくる夢の部分は見事だし(うなされそう)、
トラックの運転手との乱闘は見事だし、
夜のバス停の場面はそれだけで絵になるし、
正男の母との場面、菊次郎の母との場面は、胸をきゅっとつかまれる。
そして、グダグダな(笑)が続く後半。正男の楽しそうな顔。
祖母の愛に包まれて大切に育てられていることは、着ている服とか言動からもわかるが、こんな風に自分が中心で大人たちからかまわれたことなんかないんだろうな。
触法しているだろという出来事も含めて、絶対に保護者=祖母とは経験できない”男”?のひと夏の出来事。正男にとっては決して忘れられない夏の思い出。
そんな風景が、久石氏の音楽、特に無音で包まれる。
とはいうものの、「正男の夏」ではなくて、『菊次郎の夏』。
子どものお守りを押し付けられ、何とかしてやりたいという気持ちはあるものの、子どもの扱い方を知らない菊次郎。
そんな菊次郎が、正男を通して、子どもの頃から引きずるいろいろな思いを昇華したのかな。正男以上に、菊次郎にとって忘れえぬ夏になったのだろう。
呼び方が「ボウズ」から「ぼうや」になった点が、とくにそう呼び方を変えたくなると凡人には思えないエピソード(他にそれらしい意味づけをしやすいエピソードはあるのに)なので、失礼ながら、編集・記録・脚本のミスか?とも思ってしまうが、きっとなにか意味づけはあるのだろう。
そんな風に見直すと、いろいろな場面が愛おしくなる。
妙に間延びした展開すら、夏の暑さにうだる様、畑や浜に渡る風を表しているよう。
この映画の出来事は、普通にある事に少し特別感がプラスされていて憧れると共に心が揺さぶられます。