《FUNAN フナン》ポル・ポト率いるクメール・ルージュに支配された1975年以降のカンボジアを舞台に、息子と離れ離れになってしまった母親の激動の日々を描いた長編アニメーション。世界最大のアニメーション映画祭である第42回アヌシー国際アニメーション映画祭で、長編コンペティション部門の最高賞であるクリスタル賞を受賞した。
1975年4月のカンボジア。武装組織クメール・ルージュによるプノンペン制圧のニュースを境に、多くの住民が強制労働のため農村に送られる。一家で農村へ移動する道中、チョウは息子のソヴァンと離れ離れになってしまう。農村での苛酷な労働や理不尽な扱いは、彼女と夫クン、そして共に生活する家族を追い詰めていくが、最愛の息子を取り戻すためチョウは何があってもあきらめずに生き延びていく。
主人公チョウの声を「アーティスト」「ある過去の行方」のべレニス・ベジョ、チョウを支える夫クンを「グッバイ・ゴダール!」「パリの恋人たち」のルイ・ガレルが担当。監督はフランス生まれでカンボジアにルーツを持ち、自身の母親の体験をもとに本作を描いた新鋭ドゥニ・ドー。タイトルの「フナン」は1世紀から7世紀にかけ、現在のカンボジアやベトナム南部周辺にあった古代国家「扶南(フナン)」から。
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FUNAN フナンコメント(3)
Half the rations for half a man.
違和感の始まり...
一部の知識階級の人たちはフランス語を話せても一般のカンボジアの9割がクメール語を話すのに映画「FUNAN フナン」では、カンボジアの人たちはフランス語を話すことに対して..
ディズニー映画に良く見かけるホワイトウォッシング(英語: Whitewashing) の批判を避けるためにフランスがアフリカ諸国の植民地支配をまだしていないのにも関わらず、彼らがフランスにいたりする歴史を捻じ曲げ、事実を完無視する姿勢や描写をしている異類婚姻譚のファンタジー映画なら何処が舞台であろうと登場人物が英語を話すなんて取るに足らないことは許すことができてもシリアスであり、歴史的大量虐殺を生んだ内容の濃い映画としたら、この映画の安着な作り方には異議を唱えたくもなる。しかも、カンボジア人の描き方があまりにもいい加減で、クメール・ルージュの兵士の顔が黒塗りの上に、いかつい顔でいかにもステレオタイプのビランとしてしか描かれていない。それとフランス人がアジア人の風貌のイメージからか、登場人物の外見の個性の無さから途中から誰が誰やら区別のつかないモノとなっている。見ている側の注意が足りないとは決して言わせたくはない。
カンボジアの近代史
内戦前の最後の国勢調査が1962年であり、それ以後の正確な人口統計がつかめておらず、虐殺された犠牲者の推計には100万人~200万人と大きな開きがあり、その当時のカンボジアの総人口も推計でしか分からないカンボジアの詰めの甘さも...
サロット・サルことポルポトが実に国民の4分の1を虐殺したことと彼をカリスマとする政治勢力であるフランス語由来の"クメール・ルージュ(Les Khmers rouges)"時代を経た’90年代以降のカンボジアの社会体制の変遷に注目が今、集まっている。
フランスのカンボジアの保護化をお題目に過去二度に渡る通算90年間に及ぶ植民地支配によるカンボジアの中央と地方の行政制度が今までは、政治動向とか変動にしか研究されていなかったものが近年では、ようやく歴史的な中央と地方の行政機構や官僚といったところに焦点が移ろうとしている。
何故こんなことを載せるのか?
法令の発布や正式な文書に別の者が重ねて署名する副署(ふくしょ)という名を借りた検閲がフランスから要求され、カンボジア政府が独自で何も決められないようにしたことで、この映画の製作に関わったカンボジア出身者と同じように国王を飾りものにし、あろうことか、後にアメリカの歴史上、世界史上、彼らに勝った唯一の国であるベトナム人を役人としてフランスは雇い入れている。何故なら彼らを使って支配を肩代わりさせることで、カンボジアから多額の税金を搾り取り易くした構図が、後々、地方自治の独立的な立場だった農村部に住む人々が重い税金の負担により疲弊していくことになる。その事がきっかけとなり、農村部の窮状を知った海外に留学していた帰国学生を中心に共産主義思想が広まっていく原因をフランスが作ったという事。その留学生の一人であったサロット・サルことポルポトがフランス留学中に共産主義思想に目覚めたとされている。ただし、ポルポトはサロット・サルという人物と同一とは認めていない。
Self-reflection and critique. I know, it was hard for me too. But
be strong. Accept punishment when it's given. The pain will
cleanse you of the imperialism devouring us. And soon, a new
society will be born. Egalitarian and fair.
-There is nothing fair about this place. I've seen how well your
comrades eat.
1975年プノンペンを制圧したクメール・ルージュを市民は当初、歓迎していたが、間もなく、その事が一変する。ポル・ポトは都市部に人が住むことを許さず、地方の農村部にある強制労働キャンプに市民を大移動させている。そのキャンプに行く道中で力尽きた人たちや銃殺という惨い仕打ちを受けた方たちは、50万人に及ぶとされている。そのシーンは映画の冒頭で描かれている。
この映画自体は、ポルポトの圧政下に離れ離れになった親子を描いたヒューマンドラマに仕上げられているので、何ら観賞を邪魔するものはないと言える
...しかし、
映画はプロパガンダという国を良く見せる宣伝の道具の一面があるのは仕方ないにしてもフランス製映画がポルポトという怪物の成せる負の部分を強調し、自国のマイナスの部分をないがしろにしているのはあまりにも気分の良いものには感じられない。少しでも自分たちのしてきたことを表現しても良いのではないかと感じるけど"土台無理な話"なのか?
"第42回アヌシー国際アニメーション映画祭で、長編コンペティション部門の最高賞であるクリスタル賞を受賞" って謳っているが...
カンヌ映画祭から独立したアニメ部門を専門化した映画祭であるフランスのアヌシーで開催されるアヌシー国際アニメーション映画祭... 過去の受賞者や作品の中には日本のアニメーターやライカの一番最初の長編アニメ映画『コララインとボタンの魔女(2009年)』や同じストップモーションのアニメーターで色々と世間から非難されている映画『犬ヶ島(2018年)』の製作者でもあり、無神経の代表選手でもあるウェス・アンダーソンの映画『ファンタスティック Mr.FOX(2009年』などが受賞しているが...
この映画祭にはイビツさがある ...
最高賞であるクリスタル賞を受賞している直近の6作中5作品が何あろう、この映画『FUNAN フナン』を含めてフランスが製作したアニメという事... しかも決定的に変なところは今やディズニーがオスカーを席巻しているご時世に異を唱えるようにこの映画祭では、ディズニーが製作したものは一切、長編アニメの最高賞は受賞していないことが挙げられる。ディズニーを称賛するオスカーに対抗したいのか?それともディズニーが製作したアニメは芸術的でないとでも言いたいのか? こんなことを言ったら叱られるかもしれないが、’95年の受賞作『平成狸合戦ぽんぽこ』って芸術性が高いのか?理解不能
女優のアンジェリーナ・ジョリーが製作しNetflixで2017年に配信された映画『最初に父が殺された』の大まかな部分で本作品は似通っている... この映画は原作者でもあり、ジョリーとの共同脚本家でもあるルオン・ウンの自伝的私小説『最初に父が殺された ―あるカンボジア人少女の記憶―』を基にしている... しかし、人権活動家という肩書が、かえって彼女の立場を悪くするようにこの小説は5才の少女の記憶にしては、自己を美化し、クメール人を歪んだように描き、しかも売名行為だと地元アメリカのカンボジアコミューンの方から嘘つき呼ばわりのように批判もされているオマケ付き...
一番に言いたいことは、今年のクリスマスはCOVID-19の為に盛り上がりのかける暗い話ばかりの世の中なところを敢えて、せっかく男子が女子のハートを射止める計画を練っている最中なのに、何故にこの映画『FUNAN フナン』なんてこれっぽちも喜べない暗黒映画そのものなのに映画館でかけるとは、どんな神経をしているのか配給会社の意図が理解ができない。決して映画自体を悪く言うつもりもなかったけれども"坊主憎けりゃ・・・" ではないけど映画自体も違和感だけが映画を見終わった時に残り、その事が居心地の悪い気持ちにもなってしまう。
別にクリスマスに上映しなくても、時期を選んでほしいと思う...
そんな違和感だらけのエセ・ヒューマンドラマで下品な言い方をすればフランスでのテロが止まない理由としては覇権主義的、帝国主義的、ライシテという政教分離主義的悪業に対して、この映画が象徴的に表している
ポルポトを "当て馬" にした映画として...
フランス映画祭2020横浜にて鑑賞。
アニメーション映画だが非常にバイオレンスな作品であり、作品に没入すればするほど激しい憎悪を抱く作品でもあった。
主人公の妻チョウと夫クンは突然現れた武装組織に村を乗っ取られ、それまで平和に暮らしていた生活を一瞬にして奪われる。
強制的に村から追い出し、そして強制労働をさせられる日々を強いられる。
村を離れる際に3歳の息子ソヴァンを見失い離れ離れとなってしまう。
息子を失った悲しみを背負う2人だがそれだけでは終わらない。別々に働からさせ、恵まれた食事も与えられず過酷な労働だけは強いられる。
時には髪を強制的に切られ、時には妹が武装組織に襲われて命を失い、時には家族を殺され…村人の者もまた子供達を奪われ強制労働に組織の入れられ教育を強いられたりとあらゆる自由を奪い、苦しめ傷つけられる。
そんな中チョウとクンは一瞬の隙を見つけ逃げ出し、最後はソヴァンを見つけ出す事ができた。
3人で脱国を試みるも最後の最後でクンは組織に捕まり命を落とす…
この作品は監督の母の体験に着想を加えたストーリーだというがこのような事実が40数年前にカンボジアで起きていたというのだからとても恐ろしい事実だ。
改めて今平和でそして自由を与えられ日本で生きていられる事に感謝の気持ちでいっぱいになる。
またこの作品では自由をこれでもかという奪うシーンが多々ある。
もちろん今の日本に生きる今、この作品のような自由の奪われ方はなかなか存在しないと思うが、今の日本の社会でも自由が奪われるケースは決してゼロではないだろう。
自由を奪う側はその気はなくても奪われた側はとても苦しみそして大きな傷を負う。その傷は一生残るものとなりそして人格まで変わってしまう。
この作品ではチョウの最初と最後の変わりようにはすごく心が傷められる。
この作品を鑑賞する事で改めて相手の自由を尊重し、そして自由を奪われた者の苦しみ、悲しみが心の底から感じられる作品であった。