こうのとり、たちずさんで プロット

ひとりのTVディレクターが取材の途中で失踪中の大物政治家を見かけるが、政治家夫人も彼も本人であると認めようとはしない。彼はなぜ落ちぶれた別人生を生きているのか。ディレクターはカメラでその姿を執拗に追うが……。アンゲロプロス監督が“国境”というテーマに正面から取り組んだ作品。川を挟んでの無言の結婚式のシーンのためにダムまで作ったという逸話や、宗教団体の撮影妨害の報に世界の映画人がエールを送って完成したという経緯が、主演したマストロヤンニ、ジャンヌ・モローとともに世界規模で話題になった1本。

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こうのとり、たちずさんでコメント(1)

yydlkb
yydlkb
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島国日本に住んでいると、“国境”を意識することがない。本作で重要なファクターである国境は、ヨーロッパの人々にとってどれほどの恐怖、あるいは安全をもたらしているのだろうか?ここでは、その国境を越えられない人々の苦悩が淡々と描かれる。面白いのは、国境を越えられる者(国籍を持つ者)は、国境を越える恐怖を良く知っており、国境を越えられない者(国籍を持たない者)が、国境を越えるために停滞していることだ。タイトルの「こうのとり、たちずさんで」とは、国境線を前に、一歩を踏み出せば、国境警備の者に銃殺される危険があるため、国境を越えたくても越えられず、片足をあげたまま佇む様子を表している。主人公であるTVディレクターが、ギリシャを目指してアルバニアから国境を越えようとした難民が、ギリシャに入ることも、戻ることもできずに留まっている国境付近の村を取材に訪れることから物語が始まる。偶然撮影したトレーラーに住む男が、失踪した政治家に似ていることから、彼の身元を確認しようとし、政治家の妻を巻き込みつつ、その村に住む人々の苦悩を目の当たりにしていく。
印象に残るシーンは多々ある。特に河を挟んだ結婚式は胸にせまる。国境のこちらとむこうで花嫁と花婿が誓いをたてあう。アンゲロプロス特有の長回しのカメラは、お互いの姿がやっと確認できるだけの大きな隔たりのある結婚式を切なく映し出す。この若い2人は、何故今こんな形で結婚式を挙げなければならないのか?もしかしたら一生会えないかもしれないのに・・・。そこには難民たちの抱える深い悲しみと、微かな希望があるのだ。現状を何とか打開したいという、“停滞”する人々のささやかな自己表現なのだろう。結婚を前にした花嫁が、自分とは全く違った恵まれた境遇にいる男に愛を求めた(与えた?)行為と同じなのかもしれない。さて、本作はこの花嫁の悲しい愛の物語と平行しつつ、前述の失踪した政治家に似た男(花嫁の父)の正体を追っていく。政治家の妻は、彼と対峙し、一瞬間見つめあい「彼ではない」というけれど、果たして本当にそうなのか?私は勝手に「かつての彼ではない」という意味だと思っている。国民の信頼もあつかった政治家が失踪した理由も定かにされない。しかし彼の中で“何か”が起こり、彼をこの国境の村へ、“停滞”の地へ導いたのだ。
彼は電柱に登り、配線工事をし、じゃがいもを育て市場で売り、貨物車で暮らす少年におとぎ話を語って聞かせる。そして、娘が悲しい結婚式を済ませると、再びどこかへ旅立って行く。少年は見る、彼が河の上を“歩いて”渡って行く姿を。では彼は「神」だったのか?彼の正体は誰にも解らない。ただ、ラストシーンの、電柱に登る人々の映像は、彼が少年に語った宇宙へ飛び出す凧そのものではなかったか?電柱に登っていた彼こそが、宇宙に旅立つ凧に乗った男だったのか。それでは彼は、河を歩いてやがて宇宙へと旅立つのもしれない。観終わると、ただただアンゲロプロスの静謐な映像美に酔いしれ、私もこうのとりのように、しばらくたちずさんでいた・・・。